大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)759号 判決 1964年6月30日

控訴人(原告) 山田耕太郎 外一名

被控訴人(被告) 浅田化学工業株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴人等は各「原判決を取消す。被控訴人が控訴人等に対し各昭和二五年一一月四日付をもつてなした解雇の意思表示が無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は適式の呼出を受けながら昭和三六年九月一二日午前一〇時の当審第一回口頭弁論期日に出頭しないので陳述したものとみなした被控訴人提出の答弁書の記載によれば被控訴人は主文と同旨の判決を求めているのである。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の提出援用認否は、

控訴人等において、

一、連合国最高司令官が日本国の国家機関及び国民に対して公共的報道機関及びその他の重要産業、官庁公共企業体等につき本件解雇の如きいわゆるレツドパージを指令した事実は存在しない。レツドパージ指令の根拠として主張されている最高司令官の声明又は書簡は、(イ)昭和二五年五月三日付声明、(ロ)昭和二五年六月六日付書簡、(ハ)同年同月七日付書簡、(ニ)同年同月二六日付書簡、(ホ)同年七月一八日付書簡であるが、(イ)の声明は単なる反共宣伝にすぎず日本国政府及び国民に対し何等の具体的措置を指示したものではない。当時の共産主義運動を誹謗し最終的にはこれに対する日本国民の心構えについて警告したにすぎないものであつて、日本国民を具体的に拘束するような法規範たる性質は全く有しないものであり、(ロ)の書簡は日本共産党中央委員会を構成する中央委員二四名全員を公職から追放するために必要な行政上の措置をとることを命じたものであり、(ハ)の書簡は日本共産党機関紙アカハタの編輯者一七名の公職追放について必要な措置をとることを指令したものであり、(ニ)の書簡はアカハタの発行を三〇日間停止させるために必要な措置をとることを指令したものであり、(ホ)の書簡はアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対しその停刊措置を無期限に継続することを指令したものであつてこれらを一般的レツドパージの指令と解すべき根拠はなく、右書簡等の内容中明示せられた前記趣旨以外のものは右指令の発せられるに至つた理由若しくは縁由にすぎないものである。

二、最高裁判所は昭和二九年(ク)第二二三号中外製薬事件に付昭和三五年四月一八日にした大法廷決定において、「共産党員及びその同調者を企業内より排除すべき旨の連合国最高司令官の指示が唯単に公共的報道機関についてのみなされたものではなく、その他の重要産業をも含めてなされたものであることは当時同司令官から発せられた前記声明及び書簡の趣旨に徴し明かであるばかりでなく、そのように解すべき旨の指示が当時最高裁判所に対してなされたことは同法廷に顕著な事実であり、このような解釈指示は当時においてわが国の国家機関及び国民に対し最終的権威を有していた、」旨判示しているのであるけれども、最高裁判所に対して右判示の如き解釈指示が現実になされた事実の存在に関してはきわめて疑わしいものと認められるし、仮に右解釈指示が現になされた事実があつたとしてもこのような指示はポツダム宣言及び極東委員会の基本政策に違反し無効であり、また最高裁判所以外の他の下級裁判所一般に付顕著な事実となつているものとは認められないところである。

三、仮に前記声明や書簡の内容が公共的報道機関ばかりでなくその他の重要産業から共産党員及びその同調者を排除することまで指令した趣旨のものと解すべきものとしても、そのような指令指示は連合国最高司令官をも拘束するポツダム宣言並びに極東委員会の決定に違反し無効であつて、降伏文書においてポツダム宣言の各条項を誠実に履行する義務を課せられた日本国政府及び国民は右宣言における条項の侵害を排除すべき権利と義務の故に当然連合国最高司令官の前記の如き指令の無効を自ら判定し得べくまた判定すべきものである。

四、最高司令官の指示指令と雖も基本的人権に関する日本国憲法の規定に超越する法的効力は有しない。と述べ、なお右主張に関連する事実関係の詳細及び法的解釈の補足的説明として別紙書面記載のとおり陳述した。(立証省略)

被控訴人において、

被控訴人は昭和二五年五月二七日日本無機薬品協会に入会し、同協会はその上部団体たる日本化学工業協会に所属するものであるところ、同年九月二五日頃連合国総司令部経済科学局エーミス労働課長が右日本化学工業協会の代表者田畑平四郎等国内重要産業関係者を招致しこれに対して、連合国最高司令官の発した同年五月三日付声明並びに同司令官より内閣総理大臣吉田茂に宛てた同年六月六日付、同月七日付、同月二六日付及び同年七月一八日付各書簡の趣旨に関し次のような要旨の談話を発表した。

共産党員が近時企業内で経営を妨害し破壊活動を行なつている事実に鑑み企業経営者は企業を破壊活動から防衛するため自主的立場において企業破壊分子である共産党員及びその同調者を企業から排除しなければならない。

右排除のための解雇の対象とせられるべきものは、

(イ)  アクテイブリーダー、トラブルメーカー並びにその同調者であること。

(ロ)  必ずしも共産党員であることを要件としないがアグレシブなものであることを要する。但し単に党員であることのみをもつて排除するものではない。

(ハ)  この排除は労働組合にとつては一部組合員の破壊行為を排除して自由且つ健全な労働組合を護ることになるものである。

(ニ)  この排除は連合国総司令部又は日本国政府が行なうものではなく企業経営者が自主的立場において労働組合と協力して行なうものである。

(ホ)  この排除は占領軍の占領政策であり屡次の前記マツカーサー声明や書簡の趣旨に副うものである。

(ヘ)  右排除措置は昭和二五年一〇月中に実施し、実施完了すれば遅滞なく連合国総司令部に結果の報告をすべきことを求める。

そこで日本化学工業協会は傘下の日本無機薬品協会を通じその会員たる企業体に右談話を伝達し、被控訴人も日本無機薬品協会から右伝達を受けたがそれと相前後してその頃連合国総司令部の出先機関たる在阪の近畿民事局からも右談話と同趣旨の通達を受けた。連合国の占領下に在つた当時においてはエーミス労働課長の右談話は我国の国家機関及び国民にとつて前記声明や書簡の内容に関する最終的権威をもつた解釈を示したものであり、右談話の趣旨によれば最高司令官の前記一連の声明及び書簡は一体として公共的報道機関及びそれ以外の重要産業から共産党員及びその支持者、同調者を排除すべきことを指示要請したものというべきである。そして平和条約の発効前の占領治下の時代においては我国の国家機関及び国民は連合国最高司令官の発する一切の指示に誠実且つ迅速に服従する義務があり、日本国法令も右指示に牴触する限りその適用を排除されるのであつて、連合国最高司令官の指示は日本国の国家機関及び国民に対し日本国憲法にも優越する絶対的規範としての効力を有するものであつたのである。

そこで前記の如く日本無機薬品協会を通じてエーミス労働課長の談話を通達せられこれにより明らかとなつた前記声明及び書簡の趣旨内容によつて、被控訴人も重要産業の一端を担うものとして共産主義者及びその支持者を企業内から排除するため従業員中に該当者があればこれを解雇することを義務付けられたものとして日本共産党浅田化学細胞を構成する控訴人両名及び藤川博をいわゆるレツドパージの実施として解雇したものである。

エーミス労働課長の前記談話が連合国最高司令官の指示命令の解釈に関し日本国国家機関及び国民に対して最終的権威を有するものと解すべきことについては最高裁判所も昭和三六年(オ)第二一八号事件に付昭和三七年二月一五日言渡した第一小法廷判決において、日本化学工業関係者に対する前記談話に次いで私鉄経営者協会に対してなされたエーミス労働課長の同一趣旨の談話に関し、「昭和二五年九月二六日連合国総司令部経済科学局エーミス労働課長の私鉄経営者協会に対してなした談話は私鉄企業が同年七月一八日付連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡の所謂『その他の重要産業』に該当する旨の解釈の表示であつて当時においてわが国の国家機関及び国民に対し最終的権威をもつていたものと解すべきである。」旨判示するところである。

ところで連合国最高司令官の前記書簡中七月一八日の書簡の内容が日本国国家機関及び国民に対し法規範たるものであることは、すでに最高裁判所が昭和二六年(ク)第一一四号共同通信社事件に関し昭和二七年四月二日に言渡した大法廷決定においてこれを肯定して以来その趣旨は昭和二九年(ク)第二二三号中外製薬事件に関する昭和三五年四月一八日の大法廷決定、昭和三五年(オ)第一四〇七号事件に関する昭和三六年一二月二七日の第一小法廷判決並びに昭和三六年(オ)第二一八号事件に関する昭和三七年二月一五日の第一小法廷判決において踏襲せられ確定した判例と認むべきところであるし、また「昭和二五年七月一八日付連合国最高司令官の書簡の内容は公共的報道機関に留まらずその他の重要産業からも共産党員及びその支持者を排除することを求める連合国最高司令官の指示であり、しかも当時そのように解釈すべき旨の指示が最高裁判所に対してなされたことは同裁判所に顕著な事実である。」とする昭和二九年(ク)第二二三号事件に関する前記の決定に示された判旨についてはその後これを変更するものと認めるべき最高裁判所の判決若しくは決定はなされていないので、右判旨は今や法的確信力を伴う判例法をなしているものと解すべきである。殊に前記決定中に示された最高裁判所に対する前記解釈指示の存否の問題は単なる事実問題であつて法律解釈の問題ではないのであるから最高裁判所が右指示の存することをもつて同裁判所に顕著であるものと判示する以上下級裁判所としては最高裁判所を信頼してその指示のなされた事実を真実と認める外なく、右指示を以つて単に最高裁判所のみに対する指示に止まり、下級裁判所はこれに拘束されない趣旨のものであつたということは到底考えられないところである。しかも右指示が連合国最高司令官の指示として当時最高裁判所から下級裁判所に対し特に伝達されるところがなかつたとしても、前記中外製薬事件の大法廷決定中に掲記せられたことによつて一般に明らかにせられたものというべきであるから遅くとも右決定のなされた時以後は下級裁判所はもはや前記解釈指示を無視することはできなくなつたものといわなければならない。

控訴人等は連合国最高司令官の前記指示がポツダム宣言その他の占領法規に違反すると主張する。しかしながら連合国最高司令官の発した具体的場合の指示命令がポツダム宣言その他の占領法規に違反するや否や、有効なりや無効なりやの認定権限は日本国裁判所の有しないところであるし、仮に日本国裁判所に右認定権限が存するとしても、前記指示をもつてポツダム宣言その他の占領法規に対する関係において違法無効と解すべきものではない。蓋し右指示は特定の者につきその人の抱懐する純粋に主観的思想信条の内容の故にこれを一定範囲の職業や地位から追放すべきことを命じたものではなく、現に攻撃的破壊的行動に出た者のみの追放を命じたにすぎないものであるから「日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし。」と規定するポツダム宣言第一〇項の原則その他如何なる占領法規にも反するものでないことは明かであるからである。

日本国憲法並びに以下の日本国内法に照らしても本件解雇が憲法第一四条第一項、第一九条、第二一条第一項、労働基準法第三条に違反するものと解すべき理由はなく、また民法第九〇条に定める公序良俗に反し無効のものと認めることもできない。

憲法第三章下の第一〇条乃至第四〇条に規定する国民の自由及び権利は国家又は公共団体に対する立法のプログラムを宣言する趣旨であり、国家又は公共団体は立法その他国務に関する行為をもつてしても国民の自由及び権利を不当に制限抑圧し得ないことを明かにする趣旨であることは沿革及び解釈上疑問の存しないところである。国民たる個人相互の私法関係における意思表示又は法律行為は憲法の直接これに関するところではなく、憲法の右各条規に基く民法第九〇条又は労働基準法第三条の直接規律すべきものである。ところで労働基準法第三条は単に信条そのものを理由として差別待遇をすることを禁止するのであり、右信条の中にはもとより政治上の信条も含まれるものではあるが飽までも内心的な信条を指すものであつて、それが主観的信条の域を脱して外部的具体的行動として表現せられる段階に達するに至れば当該行動によつて形成せられた事実的状態に就き合理的な評価に従いこれに対処することは右法条の禁止するところではないというべきである。控訴人両名は公然と日本共産党浅田化学細胞と名乗り党の指令によつて播州地域における同党勢力の拡大に奔走していたのであり、党の指令に反し特定企業における使用主に忠誠を示すようなことは到底期待できず却つて党の指令があれば直ちに何時でも怠業行為に出るであらうことは明かであつて、本件解雇当時の一般情勢よりすれば日本共産党が公然と対立する国際勢力一方の手先の役割を引受け、日本国内において言論の自由を濫用し日本国民の間の民主主義的傾向及び社会秩序破壊を煽動する勢力であることも又前記声明及び書簡に指摘するとおりで、現に控訴人両名も先に主張した如く被控訴人会社従業員として顕著な企業破壊的行動をしていたのである。したがつて単に共産主義を信奉するというに止まらず、その共産主義の信条の故に具体的外部的行動の面においてまで明らかに破壊的傾向を示したものとして控訴人両名を解雇するに至つた本件解雇は労働基準法第三条に違反するものということはできない。

次に民法第九〇条に照らして考察するも本件解雇が公序良俗に反するとは認め難い。公序良俗という概念は国民生活の一般的な安寧静謐の保持と社会生活上の道義的価値の維持発展とをもつて要素とし、国家社会生活の進展と社会観念の変遷推移並びに道義的価値規範の変化に伴い時と共に変容すべきものであるところ、占領下の日本国民の間においては、連合国最高司令官がその前記屡次の声明及び書簡の趣旨として、また連合国総司令部経済科学局エーミス労働課長の前記二回に亘る当時の民間重要産業の労使双方に対する言明において、日本共産党が国際的連携の下に日本の社会秩序の破壊を企図し、そのため煽動その他各種の方法による破壊的行動に出ていることを指摘したことは直ちに日本共産党に対する消極的価値判断を殆んど決定的なものたらしめる効果をもたらし共産党に対する一般社会的評価に一大変化を生ぜしめたのであつて、このような社会的評価の如何は正に当時における公序良俗の内容を規定する決定的要因に外ならないから、日本共産党に入党ししかも前記主張するように現実に各種の企業破壊的行動に出ている控訴人両名を解雇して被控訴人会社の企業組織よりこれを排除した行為は公序良俗に反するところはないというべきである。(立証省略)

と述べた外原判決事実記載と同一であるからこれを引用する。

理由

先ず控訴人等の本訴提起が信義則に違反し訴権の濫用に亘るものとして不適法であるという被控訴人の主張について判断する。

本件訴が提起されたのが昭和三二年七月三〇日であつて、控訴人等が本訴請求の内容としてその無効の確定を求める被控訴人の控訴人等に対する解雇の意思表示の時から既に六年有余の経過していることは記録上明かであるけれども、民事訴訟による私権保護請求権ももとより憲法第三二条にいうところの裁判を受ける権利に外ならず憲法第一一条によつて日本国民たるものに与えられた不可侵の永久的権利として保障されたものであるから、国民各自の人格と共に終始すべく、一般の財産権における消滅時効の制度等の如く単なる事実的状態の永続を原因として消滅するが如き結果はこれを認めることはできない。次に控訴人両名が右解雇当時既に退職金等の受領をすることによつて右解雇の効力を争わない旨黙示の意思表示をしたこと並びに右解雇の意思表示以後本訴提起に至るまでの七年に近い年月の経過によつて、被控訴人及び控訴人等がかつて所属していた労働組合においては既に控訴人等を加えないで新たな従業員の配置による職場組織や生産活動の秩序又は組合の組織が形成せられ、右解雇当時の労使関係、就労態勢その他一切の客観状況に完全な変化が生じていること等被控訴人主張の理由は、その存否により控訴人等の本訴請求の実質上の当否の判断に影響することはあり得るとしても、その請求を内容とする本訴の提起行為自体の違法を招来するものではないと解すべきことは、右主張にかかる事実自体のもつ意味と前記憲法の条規の精神を比較考察して明かであるし、また前記のような企業及び労働組合の各組織内における被控訴人主張の変動安定は、解雇の意思表示から本訴提起までの六年有余の日子の経過に伴い社会生活上通常生ずべき必然の変化の域を出るものでないと認められるところ、単なる不行使の状態の永続によつては訴権それ自体が消滅するものでないことは前記のとおりであるし、客観的意味における時間の経過として観察した場合、一般債権についての消滅時効期間にも達しない七年未満の経過は特に長期とは認められないし、被控訴人会社をめぐる社会関係の変動も特に異常という程のものでなく、しかも控訴人等の責に帰すべき事由が右変動を惹起助長したわけでないことは被控訴人の右主張自体によつて自ら明らかであつて、以上の事情に照らせば本件訴における訴権の行使をもつて、控訴人等の被控訴人に対する著しい不信行為を敢てするものとか訴権を濫用するものとは到底いうことを得ない。

更に控訴人等が、右解雇当時の会社側責任者の地位に在つた工場長新美一次が死亡し、被控訴人会社の側において訴訟上解雇事由の証明が困難になつた時期を狙つて本訴を提起するに至つたものであるとの被控訴人主張の事実はこれを認めるに足りる証拠はない。本訴を不適法とする被控訴人の主張はすべて理由がなく採用することを得ない。

そこで控訴人等の本訴請求の当否に付判断する。

控訴人両名がそれぞれ被控訴人会社において継続的労務に服していたものであることは当事者間に争がなく、右労働関係が控訴人等と被控訴人の間の各期間の定めのない雇傭契約に基くことは控訴人等の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。そして被控訴人が控訴人両名に対して昭和二五年一一月四日解雇の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

右解雇の理由に関し、控訴人等は、控訴人等が当時いずれも日本共産党員たる共産主義者であることを唯一の理由として他の従業員とは異なつた差別的取扱として企業から追放されたもので、いわゆる「レツドパージ」として思想信条の自由の侵害であるから憲法に違反し無効であると主張するのに対し、被控訴人の主張中にも本件解雇が「レツドパージ」である旨の用語が存するけれども、本件解雇理由に関する被控訴人の主張の趣旨は、控訴人等を解雇するに至つた理由が控訴人等が共産党員であることに基きもつぱらその抱懐する共産主義思想の故にのみ本件解雇をなしたものというにあるのではなく、被控訴人の企業内における控訴人等の数年に亘る間の現実具体的行動が企業生産の維持発展に消極的影響を有するものと評価すべきものであつて、これを企業組織から排除することが企業利益を実現する所以と目せられたが故に、前記エーミス談話の発表せられたのを機会に本件解雇実行に踏み切つたものであるというにあることが弁論の経過において自ら明かであるから「レツドパージ」という同一の用語にも拘らず本件解雇理由に関し当事者双方の一致した陳述があるものと認めることはできないのであつて、本件解雇理由の如何に関しては当事者間に争が存するものというべきである。

そこで右解雇の理由に付考察する。

各成立に争のない乙第四乃至第六、第八、第九号証、第一〇号証の一乃至三、第一一号証、第一二号証の一、二、第一四号証、第一七号証の一及び三の一、二、原審における証人高木陽之助(第一、二回)、園田省次、島武士、市橋みつゑ、中島邦夫、端山伝蔵、大森一市、宇治一夫、宇治角市、及び小川泰三の各証言(但し証人高木陽之助及び園田省次の証言中後記の信用しない部分を除く)並びに当審における証人高木陽之助の証言を総合すれば次の事実が認められる。

被控訴人は戦争前から明バン鉱を主要原料とする水道浄水用及び製紙用硫酸アルミニウム、医療薬材用及び食品加工用加里明バン、印刷用インクの基材であるアルミナホワイト、加里肥料その他の化学製品の製造販売営業を目的として存立してきたのであるが、太平洋戦争末期から戦争終結の前後にかけて戦災による国内全産業の荒廃、国家経済力の潰滅的低下、これらに基く原材料の入手困難と資金の窮乏並びに戦後の社会的混乱等のため生産能力は著減し事業経営の維持は困難をきわめ、昭和二三、四年頃には工員職員合わせて総数約二〇〇名の従業員に対する賃金給料等諸給与の支払は全くその円滑を欠き、毎月のように僅か所定額の一部を支給し得るにすぎない状況であつたから、戦後における物資欠乏・物価騰貴の一般経済事情の裡に従業員等の生活はきわめて窮迫したものであつた。このような状況に対して浅田平蔵社長は、経営方針として人員整理による規模縮小の方策をとることを避け、従前の従業員を維持しつつ労使協力し一体となつて只管生産の増加販路の開拓拡張をはかり、よつて経営の危機を乗り切り企業の安定を計るべきことを標榜して全従業員に対し協調と耐乏を説き各自の職場において生産に精励するよう要望していた。被控訴人会社においては既に昭和二一年頃に浅田化学従業員労働組合が結成され、やがて同職員組合も結成され、会社と右従業員組合との間には昭和二一年一一月二七日労働協約が締結されていたが、右協約は遅くとも昭和二三年一〇月末日には失効し、同年一一月以後は労使間はいわゆる無協約の状態にあつた。労働組合運動に関し会社は組合事務所として会社正門近くの構内に在る二、三坪の建物の使用を許していたが、従業員であつて組合事務専従者たるものを認めず、組合関係事務は一切所定の就労勤務時間外若しくは休憩時間中に行うべきものと定めていた。控訴人両名は、山田を書記とし中島及び藤川博を構成員として、主たる事務所を姫路市飾磨区宮一八〇番地におく日本共産党浅田化学細胞を結成して昭和二四年一〇月一五日姫路市長に所定の届出をした。控訴人山田は第一工場配置の工員であり、控訴人中島は事務職員であるが、控訴人山田は前記従業員組合結成の当初から役員の地位に在り、日常勤務時間中に屡々許可なく職場を離れて会社構外に出門したり、組合事務所において控訴人中島と協力して「播州化学」と題する播州地方労働組合会議機関紙及び「ミヨウバン」と題し浅田化学工場新聞と表示したパンフレツト等の発行事務や姫路市周辺の地域における労働運動の情勢を記載したビラ等の作成事務に従事したりし、また昭和二四年末における前記両組合の越年資金要求斗争に関しては同年一二月一五日頃控訴人中島と共同して日本共産党浅田化学細胞名義で、冒頭にアカハタから転載したものとして「気に入らぬ時都合よくカゼをひき」という川柳を記載し、その本文において「執行委員だけでなく全員が塩屋の社長宅えすわりこんだつもりで事務所部課長が動くまでへたりこもう。このさしせまつたときにこれより外なんの手があらうか。」と記載したビラを作成して被控訴人会社従業員に配布することにより右従業員にその採るべき具体的争議戦術を示して更に争議の激化を煽り且つ終始斗争を推進指導したのであるが、更に同月下旬頃になつて控訴人山田は会社の承諾を得ることなくして擅に会社所有の自動車用被覆シート横約一〇尺縦約一五尺のもの二張及び垂木材数十本をトラツクで搬出して山陽電車塩屋停留所(神戸市垂水区)の近くに仮小屋を建設し、これを行動拠点として同年一二月三〇日数十名の組合員を指揮して神戸市垂水区塩屋三七三番地の浅田平蔵社長宅に押しかけ、塀を乗り越えたり或は閉鎖した門扉を押し開いて邸内に侵入し、執拗に当時肺炎のため床に就いていた社長との面会を強要して長時間玄関六畳の間に座わり込み同家家人の退去の要求にも応ぜず、また前記のような賃金給与等支払遅滞の漫性化という劣悪な労働条件は昭和二五年五月頃以降に至つてもなお継続していたので、当時前記従業員組合と会社との間には屡々団体交渉が開かれていたがこれに組合執行委員長として出席し、会社側から諸給与支払に充てるべき資金運営が思うにまかせない経理事情の説明を聞きながら、一般組合員に対して故らに右説明の趣旨を歪曲して伝達した。控訴人中島も本件解雇当時に至るまで日常勤務時間中であるに拘らず許可を得ないでその職場を離れ他の職場に行き就業中の従業員に対し共産党の宣伝に亘るような話をしたり無許可で構外に出門したり、前記のように随時前記の組合事務所に赴いて控訴人山田との共同行為として前記機関紙やパンフレツト等を作成して従業員に配布したりした外、昭和二四年末における前記越年資金要求斗争においては、終始控訴人山田と連携し共同して争議の激化を目標に従業員等の運動を指導してその動向を尖鋭化せしめ、遂には前記認定のように多数従業員が浅田社長の私宅に押しかけ病臥中の同社長に面会を強請するという事態まで惹起せしめた。(もつとも控訴人中島自身が浅田社長宅に押しかけ面会強請に直接親しく参加したという事実まではこれを認定するに足りる証拠のないこと後記のとおりである。)

他方被控訴人側の状況としては、戦後の一般的経済の混乱に伴う企業活動の渋滞衰微に加えて、終戦以来昭和二五年頃までの間前記組合による労働争議が頻発したことによつて益々企業生産の回復拡充が渋滞せしめられ、更にそれが会社運営の円滑と企業健全化を阻害する因をなす状態に在つた。このような会社経営に関する事態と控訴人両名の前記のような諸行動につき会社経営者側の観るところとしては、従業員の大半はなお速かに企業生産力を回復し更にこれを発展せしめることによつてのみ始めて労働条件の改善も期待し得べきものとの事理を弁識し、労使協力して職務に励精しようとの心構えを有していたのに拘らず、控訴人両名は日本共産党浅田化学細胞として企業外の政治勢力に隷従して破壊的意図の下に、自ら企業発展に貢献しようという意思を有しないばかりか、劣悪な労働条件にも耐えつつ真面目に就労している従業員等に対して断えず会社経営者に対する不信不満の念を惹起せしめるよう文書や言動をもつて煽動し、事ある毎に争議手段に訴えるよう前記組合を指導し、しかも争議となるや正常な組合活動の範囲を逸脱した過激不当な行為を自ら敢行しまた組合員多数をして行なわしめ、もつて企業運営の安定を阻害し続けてきたものと認めていた。

以上の事実が認められ、原審における証人高木陽之助(第一回)及び園田省次の各証言中控訴人中島も昭和二四年一二月の越年資金要求斗争の際塩屋の浅田社長宅に押しかけて来ていた旨の証言部分並びに原審における控訴人両名各本人尋問の結果中右認定に牴触する趣旨の供述部分は弁論の全趣旨に照らして措信し得ず、他に右認定に反する証拠はない。

次に日本占領の連合国最高司令官が、(一)共産主義及び日本共産党の動向を指摘し非難することを内容とする昭和二五年五月三〇日付日本国民に対する声明、(二)日本共産党中央委員会を構成する二四名全員を公職から追放すべき旨指令した同年六月六日付内閣総理大臣宛書翰、(三)日本共産党の機関紙アカハタの編輯関係者一七名を公職から追放すべき旨指令した同月七日付内閣総理大臣宛書翰、(四)アカハタの三〇日間発行停止措置をとることを指令した同月二六日付内閣総理大臣宛書翰並びに(五)アカハタ、その後継紙及び同類紙に対する発行停止措置を無期限に継続すべきことを指令した同年七月一八日付内閣総理大臣宛書翰を発したことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第八、第九及び第一六号証、前記乙第一七号証の一と同号証の三の一、二及び成立に争のない同号証の二、原審における証人高木陽之助(第二回)並びに当審における証人高木陽之助及び田端平四郎の各証言(証人田端平四郎の証言中後記の信用しない部分は除く)を総合すれば次の事実が認められる。

連合国総司令部経済科学局エーミス労働課長が昭和二五年九月二五日頃労働省を通じて日本国内の化学工業その他の業種の主要企業における各労使の代表を総司令部に招致し、出頭した日本化学工業協会理事労働部長田端平四郎、化学工業研究会議長磯村その他各業界労使代表として出頭していた列席者に対し、「最近日本共産党の党員及びその同調者が頻りに日本国内の企業の破壊活動を行つているから各企業、特に国内重要産業の経営者に対し、企業防衛の見地から専ら自主的にこれら共産党員及びその同調者に対する企業からの排除措置を一〇月末までに実施すべきこと、及びその結果につき連合総司令部に報告することを期待する。」旨の談話を発表した。その際エーミスは具体的表現としては、右排除の措置が何等占領軍若しくは最高司令官の国内企業経営者に対する直接の指示指令又は命令(エーミスはデイレクテイブなる語を使用した)でなく、飽まで企業自体の立場においてその存続維持のために各経営者が独自の判断とその責任において遂行すべきことを提案勧告するもの(同人はこれをサジエストと表現した。)であると言明しながら、その談話を一貫する語調、会場の雰囲気は通訳の介在はあつたが、その語る言葉の端々から、国内企業より共産党員及びその同調者を排除すべきことが占領軍最高司令部当局のきわめて強い要望であり、その実現に付確固たる決意のもとに、企業経営者にして右の措置をとることを逡巡し漫然放置する如きことを許さない趣旨のものであることを示して明らかであり、田端平四郎等当日出席した日本側企業関係者等もすべて一様にエーミスの右談話の真意及びその内容の実質が、国内企業経営者に対し共産党員及びその同調者を各企業より追放排除すべき旨強硬に命令する趣旨のものであつて、企業経営者は占領権力により直接右措置の遂行を義務付けられたものと了解したのである。以上のような談話の趣旨に副つて日本化学工業協会はこれに続く一両日内に同協会加入の各個企業体及び日本無機薬品協会等の如き中小企業者団体に対しエーミス労働課長の右談話を伝達して右措置の実行を促し、且つその結果の報告は一〇月末までは日本化学工業協会が総司令部に取次ぐべきことを通知し、被控訴人においては同年九月末日頃までにはその所属の前記無機薬品協会を通じて浅田平蔵社長が右談話の趣旨の伝達を受けた外、別途にその頃大阪市におかれていた総司令部の出先機関たる近畿民事部からも右措置の実行に関し報告をなすべき旨の指示に接した。そこで浅田平蔵社長、工場長新美一次、第二工場主任島武士及び調査課長高木陽之助等経営主脳は、被控訴人が当時硫酸アルミニウムについては国内全生産量の約三割、アルミナホワイトについては国内生産量の約六割に達する生産をしていたのであり、また加里明バンや加里肥料については国内唯一の生産者であつて、資本規模こそ同種業界において中位に止まるとはいえ、その生産量に関してはいわゆる大手筋に属するという経営の実態に鑑み、企業としては正にエーミス談話にいう重要産業に該当するものとの判断に基き協議のうえ、「他よりの指示を受けて煽動的言動をなし、他の従業員に悪影響を及ぼし或は円滑な業務の運営に支障を及ぼす者又その虞のある者、及び企業運営に協力しない者」という基準を設けて緊急人員整理を行うべきことを決定し、整理の実施方法としては、従業員、職員中会社側において右基準に該当すると認める者を同年一一月四日付で解雇する、但し同月六日午後三時までに退職願を提出した者は同月四日に遡り依願退職の取扱をする、解雇者及び右により依願退職者の取扱をなす者に対しては、通常の退職の場合と同様退職金及び労働基準法第二〇条に従い三〇日分の解雇予告手当を支給し、右依願退職扱いの者にはその外餞別金二万円を支給すること、右各支払の時期は同月四日解雇通告後午後四時まで並びに同月六日午前九時より午後四時までとし、右期間中に受領しない場合には右支給金額を供託することと定めた。そして控訴人両名及び藤川博三名を、その各従前の勤務態度、勤務成績、争議の際における行動等に照らし前記解雇基準に該当することを理由に解雇すべきものと決定し、一一月四日被控訴人側から取締役社長浅田平蔵名義組合執行委員長宛「緊急人員整理に係る申入れの件」と題する書面及び高木調査課長の口頭説明をもつて前記両組合に対し前記基準及び方式による緊急人員整理実施に関し通知し組合側の諒承を求めた。

以上の事実が認められる。

右に認定した事実に併わせて、世界における米ソ二大陣営の分裂対立・朝鮮戦争の勃発・日本国内における労働組合の社会的勢力の伸長・いわゆる特需の発生による日本産業経済全般の急速な立直りと拡充、これに伴う米国軍事力との協力態勢の強化・国内社会主義勢力の反米反戦的主張の行動化、就中日本共産党の政治的社会的活動の過激化尖鋭化の傾向等既に歴史的事実として公知と認めるべき昭和二五年前後の国際的国内的政治社会状勢を総合考察するときは更に以下の事実を推認することができる。

被控訴人会社の経営担当者としてはかねてから解雇当時に至るまでの数年の期間中における労働争議発生の際又は日常勤務の際の控訴人等の現実の行動や職場における日常勤務の状況に関し、正常な組合活動若しくは正常な争議行為の範囲を逸脱し、勤務上職場の規律を無視紊乱し他の多くの真面目な従業員の勤労意欲を減殺し業務の正常な運営を阻害し、或は会社外の勢力に追従して事毎に経営に対する従業員の不信不満を醸成し、故らに労働不安を作為し、争議に際し従業員に対し時に違法な暴力行為に出ることを煽動し、殊に控訴人山田耕太郎に付ては争議に際し時に違法な暴力行為を自ら行うこともあり、このようにして現に被控訴人の企業生産の維持伸展を阻害し企業秩序を破壊するものと評定し企業内における控訴人等の前記の如き行動態度からすれば、引続き控訴人等との雇傭関係を存続しこれを企業内に留まらしめることは経営上不利益且つ有害であると認めていたのではあるが、一方戦後における一般社会経済の混乱、生産の萎微渋滞に基く劣悪な労働条件、具体的には生活物資の欠乏と異常な値上り、賃金給与の支払遅滞の漫性化等の事情、戦後における労働者勢力の強大化と社会的圧力の昂揚並びに被控訴人会社においては極力人員整理による企業合理化方策を避け、むしろ労使一致協力により難局を打開すべきことを標榜する浅田社長の一貫した経営方針等から控訴人等を右のような具体的な行動の故に直ちに解雇する如き措置に出ることは、会社として未だ必ずしも明確に意図していたわけではなく、客観的にも平穏な解雇の実施は困難な情勢に在つた。ところが折しも連合国最高司令官の前記声明及び一連の書簡に基き新聞放送等公共的報道機関から共産党員及びその同調者を追放する措置が実施せられるに至つた国内の政治的社会的情勢並びに朝鮮戦争の勃発及びこれをめぐる米ソ両陣営の対立激化という国際情勢を背景として占領軍総司令部経済科学局エーミス労働課長の前記談話が発表せられ、少くとも国内の産業経済の関係者一般の間においてはこれにより最高司令官の前記一連の書簡による指令の趣旨内容に関し、それが国内の一般重要産業においてもその企業組織内から共産党員及びその同調者を排除すべきことを命じたものであることが占領軍当局により明らかにせられたものと解せられたために、被控訴人会社においても最高司令官の右指令を直接の根拠とし指令の内容を被控訴人会社の企業組織において実現することを目的として控訴人等に対する本件解雇をするに至つた。唯前記談話においてエーミス労働課長が共産党員及びその同調者を企業より排除することが実質的には占領軍当局の強硬な指令であることを暗示しながらも、なお一面では右排除措置は各国内企業自体が自発的に行なうべきものである旨言明したところから、出席していた国内企業経営者等の側ではエーミス課長の全趣旨から忖度して占領軍当局の意向としては、右措置の具体的実施の方式として日本国内法に準拠した解雇手続によるべきことを求めているものと判断したため、その趣旨をも併わせて傘下各企業体に伝達したのであつて、被控訴人においても控訴人等に対する本件解雇の意思表示をするについては兵庫県経営者協会にも指導を仰いだ結果民法及び労働基準法所定の要件を履んでこれをしたのである。

以上の認定によれば本件解雇の理由として争議や日常勤務の際における控訴人等の前記認定の如き具体的行動や態度等が全然考慮せられなかつたものとは認められないけれども、それにも拘らず解雇に付決定的な理由となつたものは控訴人等が共産党員として共産党浅田化学細胞を結成して届出をなした公然たる共産主義者であるという事実であり、共産主義者なるが故に控訴人両名を被控訴人会社の企業組織内から排除することを意図したものと認めるのを相当とする。

そうだとすれば日本国憲法を頂点とする国内法秩序の範囲内において判断せられる限りにおいては本件解雇は無効といわなければならない。

しかしながら第二次世界大戦の敗戦国に対する戦後処理として、本件解雇当時なお連合国軍にその全土を占領せられていた講和以前の日本国としては、一般に国民社会生活関係につき最高司令官の発した指令命令にかかる事項に関しては、その法的効力や法律上の効果は、先ず直接当該指令等の意図目的との適合性の存否によつてのみ定められるべく、日本国内法秩序のみに照らして判定せられるべきものではない。まして国内法秩序に照らして判定した結果と当該行為を命じた最高司令官の指令等の目的が矛盾する場合に、国内法上の効果を主張してこれと背反衝突する指令等の内容の実現たる法律状態を否認する如きことは、後記のように降伏文書に基いて許されないことが明かであるから、若し最高司令官が、本件解雇に付現に被控訴人においてその根拠又は理由として援用した如く、「国内重要産業の企業組織から共産党員及びその同調者を排除すべき」旨の指令を発しているとすれば、本件解雇処分は少くとも前記認定の如き解雇理由の故をもつてはその法律上の効力を否定せられるべきものではないというべきである。

控訴人等は国内重要産業の企業組織から共産主義者、共産党員及びその同調者を排除すべき旨の最高司令官の指令命令等の存在を争うので以下この点に付考察する。

連合国最高司令官が昭和二五年五月三日付日本国民に宛てた声明を発し同年六月六日付、同月七日付、同月二六日付及び同年七月一八日付いずれも日本国内閣総理大臣宛の各書簡を発したことは公知の事実であるところ、先ず成立に争のない乙第一五号証の二乃至六によつて右声明及び書簡の各記載自体に即してその趣旨とする意味内容を探究するのに、右声明の要旨は、

「終戦直後一政党として結成された日本共産党は当初は穏健に発足し一部の人々の支持を獲得したが共産主義運動の辿る一般的傾向の例に洩れず政治社会活動の態様は次第に激烈化してきたためやがて国民の反撥を買い結局政治的勢力を失うに至つた。最近ではその残存分子が勢力失墜の窮状を打破するため公然と国際的略奪勢力の手先と化し外国の権力政策帝国主義的目的及び破壊的宣伝を遂行する役割を引受けている。

共産党は日本国内において労働階級の支持を受けるため労働者の諸権利を守るチヤンピオンを誇称しているけれども海外の実情は同党の支配下では労働者は一切の権利を失うことを示している。日本共産党は言論及び平和的な集会の自由、良心に基く信仰の自由その他普遍的に認められている基本的人権に基く諸自由の熱心な使徒であるかの如く装つてはいるが真実は共産主義政治権力が擡頭すれば一切の自由が完全に抑圧されるに至ることは世界における共産主義運動の実績に照らして明らかである。

日本においてはかつて共産主義運動が外国の場合に比較して、より穏健な国内運動の傾向を示すであらうとの観測が行われたこともあるが、このような予測は、日本共産党が現に国外からの支配に屈服し且つ人心の惑乱弾圧のために虚偽と悪意に満ちた煽動的宣伝を広く展開し、日本国民の利益に反する反日本的運動方針を公然と採用している事実によつてその誤つていたものであることが立証された。

すべて自由な国民というものは社会の漸進的改善を合意的に主張する特権を与えられているものであるのに、共産主義はそれと同じ様な目的を追求しているという浅薄な見せかけをしているだけでその真実の意図としてはそのような自由な国民の目的など全く問題にしていないのであつて、自らの政治権力獲得に有利な地盤を築くためには社会人心の不安の醸成のみを戦術とし手段としているものである。

しかもこのような戦術に従つての働きかけは決して特定の一国内や特定の一地域に限定せられるものではない。一国共産党の政策及び戦術はすべて国際的規模において高度の中央集権的支配と統制を受けているのであつて世界の個個の自由な地域に対し攻撃を加えようと意図するときは目標地域の外にある共産主義圏内の主要都市からでも随意にこれを指令し実行することができるのである。共産党は如何なる国にあつても、右の様に統制せられた力を残忍卑劣なやり方で行使し近代文明の基盤たる精神的要素に伴うあらゆる弱点を利用して破壊的効果を実施する。

共産党及び共産主義運動の以上の如き性格に鑑みるときは、個人の自由の合法的行使を侵害する結果を招くことなしに国家の福祉を危殆ならしめる反社会的勢力たる共産主義勢力による自由の濫用を国内的に処理する方法如何こそ正に現在の日本が急速に解決を迫まられている問題である。ところで自由な正しい選挙を通じて表明せられる国民世論の反社会的侵害に対する反撃力というものは、無責任な指導者が合憲的方法を通じて出現することを阻止することはこれを期待することができるけれども、自由を濫用することによつて、無責任な指導者の暴力的な出現を可能ならしめる無法無秩序な社会情勢を発生せしめることを防止する目的のための手段としては十分なものではない。

共産党又は共産主義運動の行なう以上のような陰険な攻撃の破壊的潜在性に対し日本国民が公共の福祉を守り抜くために憲法の尊厳を失墜することなく良識をもつて正義に従い沈着に対処することを期待する。」

というにあり、これによれば最高司令官がその地位において直接に一般日本国民に対し、共産主義運動一般及び日本共産党の政治目標及び活動状況一切が包括的に観て、第二次大戦後における平和的民主主義的日本国家再建の目的に反し有害なものである所以を説示したうえ、最高司令官としては、日本国民がその国民生活において、右声明当時までの日本共産党の活動状況を将来に向つても依然継続するがままに放任することは法と正義の支配する自由な民主主義国家の建設維持に付重大な障碍をなし国民の努力の成果を破壊し挫折せしめる危険を招来するものであつて許すことのできないものと認めることを表明し、結論として日本国民各自が具体的状況に応じてその国民生活関係において右危険や障碍を排除すべき具体的に適切な方策を自ら探究樹立し自らの力をもつて右排除を実行すべきことを要望したものと解せられる。

前記六月六日付の書簡の要旨は、その結論の部分たる指令の内容として末尾掲記の二四名を公職から罷免し排除するのに必要な行政上の措置をとるべきことを命じている外なお、

「平和的傾向をもち且責任のある政府の堅実な基盤となり得る平和と安全と正義の新秩序を建設することはポツダム宣言に基く最も重要な義務として日本国民に要求されている。同宣言は右目的達成のために日本政府に対して日本国民の間における民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去すべきことを明示しているのである。この要求は極東委員会によつて決定され、指令された連合国の政策の基本的な目的の一となり、その履行の一態様として日本政府の機構が再編され法令や制度中非民主的なものは改正され、その閲歴に照らし勢力を保持させると民主主義的な発展を害する虞あるものと認められる人物は日本の公の職務から罷免され排除せられたのである。その適用範囲はその地位や勢力からして征服と搾取の冒険となつてあらわれた日本の全体主義的政策に対して責任のある人物を対象とするものであつた。ところが最近になつて日本の政界にあらわれた新しい有害な集団も真理の歪曲、大衆の暴力行為の煽動、国民社会生活の無秩序化の手段によつて日本の民主主義的な発展を害し、日本国民の間に現に成長してきている民主主義的傾向を破壊しようとしてきたし、法令に基く権威に反抗し法令に基く手続を軽視し、虚偽で煽動的な言説やその他の破壊的手段を用い、その結果として起る公衆の混乱を利用して、ついには暴力をもつて日本の立憲政治を転覆するのに都合の良い状態を作り出すような社会不安をひき起そうと企てている。かれらの強圧的な方法は過去における軍国主義的指導者が日本国民を欺き過誤を犯させたところの方法と非常によく似ている。無法状態をひきおこさせるこの煽動を抑制しないでこのまま放置することは、現在ではまだ萠芽にすぎないように思はれるにしても、ついには連合国が従来発表してきた政策の目的と意図を直接に否定して日本の民主主義的な諸制度を抹殺し、その政治的独立の機会を失わせ、そして日本民族を破滅させる危険を冒すことになるであらう。」

というにあり、これによれば最高司令官が日本共産党を以つて、日本国民が誠実に履行すべき義務として降伏条項の定めるポツダム宣言第一〇項明示の、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する具体的障碍をなすものとなし、日本共産党がその採用している従前の活動手段や運動方針を継続するがままに放置して抑制措置を講じないでおくと連合国の既定の占領政策の目的とし意図するところが否定せられ、日本の民主主義的諸制度の抹殺、政治的独立の機会の喪失、日本民族破滅の結果を招来する危険が存すると認定したことを表明するものと認められる。

前記六月七日付の書簡の要旨はその結論の部分において具体的指令内容として、日本共産党機関紙アカハタの内容に関する方針に対して責任を分担している末尾掲記の一七名を公職から罷免し排除するのに必要な行政上の措置をとるべきことを命じている外なお、

「真に自由で責任のある新聞の発達を奨励し援助することは占領軍の準則である連合国の根本的政策の一である。その具体的方策として検閲は漸次廃止されて行つてやがて最終的に停止された。日本の新聞は米国新聞編集者協会の新聞綱領に範をとつた原則と倫理に立脚する新聞綱領を定めその原則と倫理を遵守し責任感をもつて新聞を編集し発行するようになつた。しかし日本共産党機関紙アカハタは日本の新聞の全体としての右傾向の例外であつて、同党内部の最も過激な無法分子の代弁者の役割を引受けて法令に基く権威に対する反抗を挑発し経済復興の進歩を破壊し、社会不安と大衆の暴力行為を引きおこそうと企ててきた。」

というにあり、これによれば最高司令官が日本共産党機関紙アカハタは、その編集方針において連合国の対日根本政策の一たる新聞の編集発行における自由と責任の確立という目的に背反しその実現を阻害するものと認定したことを表明したものと認められる。

前記六月二六日付の書簡の要旨は、その結論の部分において具体的指令内容として、アカハタの発行を三〇日間停止するのに必要な措置をとるべきことを命じている外なお、

「共産党機関紙アカハタの編集方針に関し、その指導者が変更されることによつて比較的穏健な方向に改められ真実を尊重し無法状態や暴力を煽動教唆するのを避けるに至ることを希望する旨明かにしたにも拘らず右の希望は実現されなかつた。殊に最近同紙は朝鮮の事態に関し事実を歪曲して論じているのであつて、この事実は同紙が日本の政党の合法的な機関紙ではなく、日本国民と日本在住の朝鮮人の間に人心を攪乱することによる公共の安寧福祉の侵害を目的とする虚偽煽動的な宣伝を広めるための国外の破壊勢力の道具であることを証明するものである。この種の煽動的な行為は平和的で民主的な社会では黙認しておくわけにはいかない。」

というにあり、これによれば最高司令官が日本共産党機関紙アカハタの編集発行の継続は平和的で民主的な社会においては排斥されるべきものであると認定したことを表明したものと認められる。

前記七月一八日付の書簡の要旨は、その結論の部分において具体的指令内容として、日本共産党機関紙アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し既に現に課せられている停刊措置を無期限に継続すべきことを命じている外なお、

「最高司令官の六月二六日付書簡は虚偽、煽動的、破壊的な共産主義の宣伝の播布を阻止する目的をもつものであつたが、右書簡発表以後も日本共産党が公然連繋している国際勢力は民主主義社会における平和の維持と法の支配の尊厳に対し更に陰険な脅威を与えるに至つている。このような情勢下において日本国内で共産主義を信奉する少数者が暴力を以て自由を抑圧しようとする彼等の目的のために宣伝を播布するため公的報道機関を自由且無制限に使用することは新聞の概念の悪用であり、これを許すことは日本国内にある自由で責任ある報道機関の多くを危険に陥入れ且つ一般国民の福祉を危くするものであることが明らかになつた。現在自由な世界の諸力を結集しつつある闘いにおいてはすべての分野のものはこれに伴う責任を分担し誠実に遂行しなければならない。公共的報道機関は真実を報道し、真実に基いて事情に通じ啓発せられた世論をつくりあげる全責任がある。日本国民大衆が共産主義の偽善的仮面を看破する能力を有することは既に明らかであるから共産主義者の宣伝のために日本国民大衆が破壊的影響を蒙ることはないと思われる。しかしながら現実の諸事件は共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的暴力的綱領を宣伝し無責任不法の少数分子を煽動して法に背き秩序を紊し公共の福祉を毀損する危険を有するものであることを示して明白である。それ故日本において共産主義が言論の自由を濫用して無秩序への煽動を続ける限りこれに公的報道の自由を使用させることは公共の利益のため拒否されねばならない。」

というにあり、これによれば最高司令官が、日本国内における共産主義者に公的報道機関を自由且つ無制限に使用することを許すことが民主主義社会における平和の維持と法の支配に有害であり一般国民の福祉を危うくするものであると認定し共産党及び共産主義運動に対するその否定的評価を表明したものと解せられる。

ところで前記の各書簡はいずれも日本国内閣総理大臣に宛てて発せられているものであつて、前記の声明が直接一般日本国民を名宛人として発せられ即日渉外局を通じて国内日刊新聞に掲載せられ汎く全国民に報道せられたのと取扱を異にするけれども、その形式上の名宛人の如何にかかわらず各書簡はその発出の都度当時遅滞なく官報に掲載せられたばかりでなく、日刊新聞その他国内一般報道機関を通じて国民一般に報知せられたことは公知でありまた右書簡の記載内容自体によつて、形式上の名宛人が内閣総理大臣とせられているにもかかわらず、それが日本国民一般にも周知せしめられることを予定し、日本国民全体に対する最高司令官の呼びかけであるとの明らかな意識をもつて作成せられたものと認められる。もつとも第二次大戦後の連合国による日本の占領管理の機構として存在した形態は、降伏文書の明記するところに従い天皇及び日本政府が連合国最高司令官の権限下におかれ、降伏条項の実施に関する限りにおいては日本政府の国家統治の権力や諸権限は挙げて連合国の権力と対日関係において直接降伏条項の実施にあたる最高司令官のきわめて強力広汎な権限に従属せしめられたのであり、最高司令官はその統一指揮下に連合国軍を掌握しこれをもつて日本全土を占領しその占領軍の軍事力を背景として、専属的に最高司令官に授与せられた認定権限に基き降伏条項実施のための措置として適当必要とするところを定め、その実現を日本政府に指令として要求し、日本政府をして国内における具体的実施に任ぜしめ、その履行を監視督励するという、いわゆる間接管理方式によることを原則とするものであつたとはいえ、一面例外として連合国が日本の管理を直接に実施し、必要とする直接行動を自ら行なう権利を常に留保し、降伏条項の有効な実施上必要と認める場合には、最高司令官において随時直接に管理措置及び行動をとる権限を有していたものであることは、降伏文書第三、第五、第六及び第八項、昭和二〇年九月二日付最高司令官指令第一号による一般命令第一号第一二項にその法律的根拠を有するとともに、既に歴史的事実として公知に属するところと認められるばかりでなく、降伏条項実施のため最高司令官の発する布告・指令・命令・その他占領目的達成のため最高司令官が必要適当と認めて採る措置や日本国民に対する直接の要求等に付日本国民一般をしてこれを周知せしむべき手続形式に関し、日本国内法公布に関するかつての公式令等の如き厳格な定めをした格別の占領法規は存しないのであるから、官報の掲載によろうと或は一般新聞紙上の記事若しくはラジオ放送によるものであろうと、およそ現に一般日本国民に宛てられたものと認めるに足りる最高司令官の表示が日本国民一般の側においても了知し得べき状況におかれた以上、若しその表示内容にして日本の非軍事化、民主化の目的実現に関聯して日本国民一般若しくは特定範囲の者に付或る積極的容態をとるべきことを要求する趣旨の規範を含んでいるならば、その限りにおいてそれは、指示指令その他形式上の名称や用語の如何にはかかわりなく、実質的には降伏文書第三項にいわゆる最高司令官の直接日本国民に対する要求が発せられた場合に該当するものと考えなければならない。そして最高司令官がその名において直接一般日本国民に対し、日本の非軍事化、民主化の目標達成に関聯して、その正にあるべき姿なり正にとるべき態度に付表明する場合においては、その内容が単に完全に抽象的な倫理命題たるに止まつたり、又はポツダム宣言に掲げられた基本的政治原理の単なる繰り返しに終始するが如きことは事実上あり得ないものと考えられるのである。何となれば、日本に対する降伏条項の中核的目標が、日本帝国の現実具体的国家機構と体制並びにその政治社会構成の理念を根底から変革し、英国及びアメリカ合衆国の政治社会の歴史と伝統の裡に形成せられてきた特殊具体的政治原理としての英米式民主主義を基礎とし、しかも徹底的に非軍事化せられた代議民主制国家を確立することにある以上、その目的達成方策に関聯するものといいうるためには或る程度の具体性を伴う行為的容態を示すことになるものでなければ無意味であるからである。ところで最高司令官の前記声明及び一連の書簡中に表示せられている前記内容に関しては、その明白に指令である趣旨を示している結論の部分を除いては、これにつき指令・指示・命令等の用語は何等存しないけれども、形式的な用語上の理由の故に直ちに実質的にも占領権力の行使者たる最高司令官からその権力下にある被占領国民たる日本国民に対し何等の行為的容態を要求したものではなく、また日本国民の社会生活関係における正にあるべき具体的姿の実現に向けられた優越的意思の表示でもなく規範の設定でもないとは到底解することはできない。何故なれば降伏文書及びアメリカの初期の対日方針に従い日本の国家機関及び日本国民の立場において見るときは連合国最高司令官は、全能の神の如き超越的存在として現われるものでもなければ、また日本国民と共通の民族生活、国民生活、社会生活関係の基盤に立ちつつ日本国民の社会生活上の啓蒙的指導者、教師、教悔師、友人や隣人等の協力者又は単なるニユース解説者として対等な関係若しくは好意、愛憎、尊敬、侮辱等個人的情感に結ばれた関係当事者として現われるものでもなく、もつぱら唯降伏条項を実施しポツダム宣言に従つて日本国家の政治経済一切の国家機構と教育文化等日本国民の社会生活関係一切その全分野において非軍事化し民主化するために圧倒的に優越する占領権力を行使する連合国の機関たる存在としてのみ現われるものに外ならず、爾余の総司令部各機関を構成する占領軍官憲は最高司令官の右職務に関し事実上これを補助するものである。したがつて最高司令官又は連合国官憲たる地位と名においてする限りは、降伏条項の中核をなす日本の国家社会の非軍事化、民主化の目的実現に関聯する事項に関し、最高司令官その他の占領軍官憲は、日本の国家機関及び日本国民に対し単なる傍観者若しくは第三者たる地位に立つものとは決してなり得ないものであつて、両者の間には降伏文書によつて客観的に定立せられた既存の日本占領管理機構に拠る占領権力の行使者とそれえの隷従者以外の関係が成立する余地は存しないからである。いやしくも最高司令官の地位と名において、日本国民に対し、占領目的達成のための降伏条項実施に関し、その一定の行動に出ることをもつてその依拠すべき規範である旨宣言したり、国民生活社会生活関係において、その正にあるべき一定の容態を示した限り、勧告といい示唆といい或は期待するといつて、敢て命令、指令等強制の契機を含む語を用いなくとも、その用語の故に最高司令官が傍観者若しくは第三の地位に立ち、対等関係において日本国民に対し、何等の命令強制の性質を帯びない好意的若しくは協力援助的な意味のみを有する文字通りの単なる示唆や勧告又は忠告を行なう立場のものに転化する筈はなく、あくまで占領権力の発動により日本国民に対し義務としてその誠実な履行を命じたものと解すべきである。換言すれば、最高司令官が日本の民主化、非軍事化その他降伏条項実施に付適当必要と判断(その認定は最高司令官の権限に専属することは降伏条項第五項及びアメリカの初期の対日方針によつて明かである)して表示したところに付、日本国政府若しくは日本国民に対する命令強制の規範力を付与するものは、最高司令官自身の意思やその行使する権限ではなくして、降伏文書の調印(それは実質的にはまぎれもなく日本と連合国間の条約の締結と認められる)により設定せられた国際法律関係たる日本占領機構自体又はこれを通じてのみ発動されるべき連合国の権力にこそ由来するものであり、この日本占領管理の機構は最高司令官といえどもその意思と権限によつて変更することを得ず、連合国といえどもその意思のみに基き一方的にこれに変動を与え得ないものである。

もとより単なる一軍人マツカーサーの世界観、歴史観及びその政治哲学若しくは政治的宗教的信条の説示又はアメリカ合衆国民の文化的政治的優秀性に対する讃嘆とその栄光の誇示の如きものが、最高司令官の名において直接日本国政府や一般日本国民を名宛人として語られ、その内容を文書に記載して日本国民の間に汎布周知せしめられ日本国民の精神界にまで君臨するが如きことは主権国家の存亡、否単に現存国家統治体制の維持に止まらず民族としての生存そのものさえ賭した第二次大戦の戦後処理として設定形成せられた厳粛な国際法律関係に外ならない日本の占領管理に関し存在の許されるべき限りでない。

連合国側の危懼に反し日本国民の大半が易々として最高司令官の命に従い占領軍官憲の言に服従し、予想外に柔順に占領政策に適応した所以は、決して抑圧と隷従の封建的治世に慣れた日本国民の事大主義的意識構造や民族としての未成熟後進性にあるものではなく、国民各自の国家総力戦の遂行と徹底的敗北の直接体験に媒介せられた占領管理機構の上記の如き実態に関する直感的把握に裏付けられたところの占領軍官憲の表明に内在する規範性の法的確信にあつたと認めるのが相当である。

最高司令官の名において直接日本国民に語るところは、それが日本国民として正にあるべき姿、正にとるべき行動を指示するものであるならば、それが抽象的であれば抽象的なものとして理解せられる意味の範囲において、それが具体的なものなれば正にその具体的事項が要求せられたものとして、降伏条項実施のための実質的意味における指令命令その他の要求となるものであり規範を設定したものと解せられる。

最高司令官がその名において書簡等の形式により日本政府及び日本国民の正にあるべきところ(それは事実上必ず或る程度具体的な性格を帯びたものであることについては前記に説明したとおりである)を具体的に、或はより抽象的な形で示し、その実現が占領軍の政策であることを表明しているに拘らず、日本の占領管理の方式が間接管理方式を原則とすることを根拠として、その全文中の具体的指令内容を示した結論の部分を除く爾余の内容部分は、すべて法律的には総司令部の政治上の政策にすぎず、単に日本政府がこれに順応した施政を実行するよう忠告する趣旨にすぎないものと解することはできない。蓋し日本の占領管理における間接管理方式とは決して占領軍がその採択決定した政策を基本として、日本政府に対し、これに順応して自らの政治方策をとるべきことを忠告する措置をとるにすぎないのを原則とする方式、という意味ではないからである。

降伏条項実施の主導権は日本政府にあるのではなく、また間接管理方式とは、日本政府が先ず第一次的にその統治権を行使し自己の判断に従いその責任において降伏条項実施のための具体的方策を決定し主導的に降伏条項を実施し、最高司令官は日本政府に対する後見的立場に退いて唯日本政府の施策に対し監視、監督、督促又は是正を加えるためにのみ第二次的に占領権力を行使するという関係ではない。降伏条項の実施に関する限り、日本政府の統治権は最高司令官の下におかれ、その指令の実現の手段としてのみ、最高司令官によつて利用せられるにすぎない。最高司令官の発した具体的個別的指令を国内的に実施するために発動される場合以外に、日本政府が降伏条項実施に関し、自己の責任と判断において自発的に統治権を行使するが如きことは認められていない。それが降伏条項第八項の意味するところと解せられるのである。日本における降伏条項の実施は、正に連合国の権力の直接の発動として行なわれるのであり、その現実の実施権者は最高司令官に外ならない。

更に前記声明や書簡に表示せられた意味内容の点から観察しても、日本政府及び日本国民に対する関係において直接降伏条項の執行権者たる地位にあるとともに、一面連合国に対する関係においては、降伏条項の実施による日本の非軍事化、民主化を最大且つ終極的職責として義務付けられている最高司令官が、前記声明や書簡において前記の如く自ら明かに表明し、殊にその中に存する、「最近日本の政界にあらはれた有害な集団は真理を歪曲し、大衆の暴力行為を煽動してこの平穏な国を無秩序と斗争の場所に変え、これをもつて代議民主主義の途上における日本の著しい進歩を阻止する手段としようとし、また日本国民の間に急速に成長しつつある民主主義的傾向を破壊しようとしてきた。かれらは同じ意図をもつて法令に基く権威に反抗し、法令に基く手続を軽視し、そして虚偽で煽動的な言説やその他の破壊的手段を用い、その結果として起る公衆の混乱を利用して、ついには暴力をもつて日本の立憲政治を転覆するのに都合の良い状態を作り出すような社会不安をひき起そうと企てている。かれらの強圧的な方法は過去における軍国主義的指導者が日本国民を欺き過誤を犯させたところの方法と非常によく似ている。無法状態をひきおこさせるこの煽動を抑制しないでこのまま放置することは、現在ではまだ萠芽にすぎないように思われるにしてもついには連合国が従来発表してきた政策の目的と意図を直接に否定して日本の民主主義的な諸制度を抹殺し、その政治的独立の機会を失わせ、そして日本民族を破滅させる危険を冒すことになる。」、「日本共産党が現に国外からの支配に屈服し且つ人心の惑乱弾圧のために虚偽と悪意に満ちた煽動的宣伝を広く展開し、日本国民の利益に反する反日本的運動方針を公然と採用している。」、「個人の自由の合法的行使を侵害する結果を招くことなしに国家の福祉を危殆ならしめる反社会的勢力たる共産主義勢力による自由の濫用を国内的に処理する方法如何こそ正に現在の日本が急速に解決を迫まられている問題である。」、「共産党又は共産主義運動の行う陰険な攻撃の破壊的潜在性に対し日本国民が公共の福祉を守り抜くために憲法の尊厳を失墜することなく良識をもつて正義に従い沈着に対処することを期待する。」、「日本共産党機関紙アカハタは同党内部の最も過激な無法分子の代弁者の役割を引受けて法令に基く権威に対する反抗を挑発し、経済復興の進歩を破壊し社会不安と大衆の暴力行為を引起そうと企ててきた。」、「最高司令官の六月二六日付書簡は虚偽、煽動的、破壊的な共産主義者の宣伝の播布を阻止する目的をもつものであつた。」、「現実の諸事件は共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的暴力的綱領を宣伝し無責任不法の少数分子を煽動して法に背き秩序を紊し公共の福祉を毀損する危険を有するものであることを示して明白である。」等の立言を明示しているに拘らず、しかもそれが、日本占領の根本目的とその非軍事化及び民主主義化の基本方針を明示したポツダム宣言、若しくは降伏条項においては未だ全く触れるところがなかつた特定の政治的結社である共産党並びにその理論的基礎である共産主義思想と日本占領目的の矛盾背反の関係及び共産主義運動に対する否定的評価を明らかに表明していることを無視して、これらをすべて各具体的結論を導く論理過程に外ならないものとし、或は総司令部の政治的政策を示すにすぎないものと解して、右立言からは法的規範たるべき、共産党若しくは共産主義運動に対する日本国民の正にあるべき如何なる容態の指定をも引き出すことを得ないものと解するのは、上記の如き日本占領管理の実態に照らして到底容認することを得ないところである。

以上に縷説したような日本の占領管理機構における連合国最高司令官と日本政府及び日本国民の関係に立脚し、且つ前記声明や書簡の記載内容の意味の理解を基礎として改めて右声明及び書簡に接するときは、声明と六月六日付の書簡の各記載内容は、相まつて最高司令官から一般日本国民に対して、「平和的傾向をもち且つ責任ある政府の堅実な基盤となり得る平和と安全と正義の新秩序の建設」がポツダム宣言に基き日本国民の負担する最も重要な義務であることを再確認したうえ、同宣言自体が右義務の具体的履行方法として「日本国民の間における民主主義的傾向の強化に対する一切の障害の除去」を遂行すべきことを明示しているとして、右方法を履行することがとりもなおさず日本国民の義務であることを宣明し、更に進んで最高司令官において日本占領の目的達成の観点から判断するときは、戦争終結後右声明当時に至るまでの期間における日本共産党の現実の政治的社会的活動状況に照らし、共産党員は、一般に日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する具体的障害を与えるものと判定せられるのであつて、日本国民がその社会生活上共産党員の活動を抑制し従前の無法無責任な煽動行為をそのまま放置しておくような態度を排することが、正にポツダム宣言に基く日本国民の前記義務の履行にあたるものとして実行せられるべきところである旨表明し、よつて日本国民が降伏文書記載の条項実施のための義務として正に行なうべきところを明らかにしたものと認められ、その限りにおいては少くとも実質的には前記一般命令第一号第一二項に基く指示に準じ日本国民の義務に関する法規範たる性質を有するものと解せられるものである。

そして前記六月七日付、同月二六日付及び同年七月一八日付各書簡は、ともにいずれもこれらに先行する前記声明及び六月六日付書簡において表明せられたのと同一の趣旨と立場において同一の意図のもとに一定の具体的措置を指令したものであり、その実現しようとする具体的措置の態様が対等な私人関係として個人意思に基く処理に委ねるに適せず、個人意思に基く処理のみによつては実効を期し難いものであるところから、形式上も内閣総理大臣を名宛人として日本政府に対し行政権の発動により所期の結果を実現すべきことを命じたものと認められるのである。

しかしながら前記声明及び書簡によつて宣明せられた日本国民の以て拠るべき行為規範の内容は、右書簡等の記載の全文を以てしても、未だなおその履行の方法、時期、履行々為の態様等に関し、即時その実行に着手し得る程に十分な明確性と具体性を具えた法律的義務を設定したものとは認め難いし、現実にその履行々為の実施につき責に任ずべき主体が果して何人であるかを特定するについてもなお足りないものであつて、日本国民の側において右規範内容を即時具体的に実現すべき法律的拘束を受けるものとせられるためには、なお最高司令官若しくは権限ある占領軍機関による義務規定に関する具体的補充を要するものと解せられるし、最高司令官としても右書簡の各結論の部分において内閣総理大臣に実施を指令した各個の具体的措置に止まらず、これを超えて右書簡のみを根拠として直ちに一般日本国民がその社会生活関係上共産党員及び同調者を排除する積極的具体措置を講ずるであろうことまでは期待も予想もしていなかつたこともこれを認めるに難くないところである。ところで前記乙第一六号証と当審における証人田端平四郎の証言の一部並びにエーミス労働課長が昭和二五年九月二五日国内重要産業部門の企業経営者等に対して行つた談話の内容に関する前記認定のような明示黙示の全趣旨と米ソ二大陣営の対立や朝鮮戦争の勃発に伴い生起し既に歴史的事実として公知に属する当時の国内社会及び国際政治の情勢を総合斟酌するときは、右談話は占領軍官憲が、既にその抽象的大綱については先に前記声明と書簡をもつて一般日本国民に発明せられていた規範実現のための法的義務の具体的内容やその義務履行の責任者の何人であるかに関し、改めて国内の重要産業部門における各企業経営者が自ら各関係企業組織内から共産党員及びその同調者を排除する措置を実施すべき義務を負いその履行の責に任ずべきものであることを補充的に指示し且つ右措置は昭和二五年一〇月末日までに実施を完了してその結果に関し総司令部に報告すべきことを命じたものと解するのを相当とし、一方右談話に列席した国内各企業の労使代表者等においても自ら右と同趣旨に右談話の意義を諒得したものであつたことを認めるに足りる。

この点に付当審証人田端平四郎の証言中、右談話の際エーミスが共産党員等の排除措置が最高司令官の発した前記声明や書簡等と無関係であることを言明した旨の証言部分は前記乙第一六号証と対比しにわかに信用し得ないところであるし、仮にエーミスがその旨の言明をしたとしてもその故に、最高司令官の前記声明や書簡の内容が、日本の国家機関や日本国民に対する関係において有すべき、前記説明の如き性格及び意義が変更消滅せしめられるものとは解せられない。蓋しその性格及び意義は日本の占領管理機構、日本占領の本義並びに右機構における最高司令官の地位、権限から導かれるものであつて占領軍官憲の意思を超えたものであるからである。またエーミスの右談話が最高司令官の前記書簡や声明と何等の関係がなく、声明や書簡に示された一般抽象的規範を具体化し、これを補充するものでないとしても、右談話は前記認定のようなその趣旨に従いそれ自体独立してもなお前記一般命令において日本国民たる私人に対し具体的行為を義務付けた連合国官憲の指示に該当するものと解せられるのである。

以上によれば国内重要産業に関する企業体より共産党員及びその同調者を排除するにつき、これを命じた形式的な意味の最高司令官の指令、指示、命令は存しなかつたといえ、実質的な意味においてはこれを命ずることを内容とする最高司令官の要求が前記声明及び書簡をもつて(後に占領軍官憲の指示をもつてその具体的内容が補充的に規定せられた)日本国内企業経営者に対し、すなわちこれを受命者として、発せられたものといわなければならない。

控訴人等は連合国最高司令官が前記声明及び一連の書簡をもつて日本の国家機関及び日本国民に対し公共的報道機関のみならず国内重要産業から共産党員及びその同調者を排除すべきことを指令したものとすれば、右指令はポツダム宣言、降伏文書の条項及び極東委員会の決定に違反し何等の法的効力を有するものでない旨主張するけれども、敗戦による被占領国たる日本国の国家機関及び日本国民は自ら連合国最高司令官の発した具体的指令がポツダム宣言若しくは極東委員会の決定に適合するや違反するやを判断しその無効を認定することは許されず、たとえその主観的判断においてそのような判定結論に達したとしても、その無効の認定は占領軍若しくは連合国に対して何等の通用力を有せず、又妥当するものでもなかつたし、各具体的事件に即して随時任意にその無効を認定して国際的にこれを主張すべき何等の手続も設定せられてはいなかつたことは、具体的に何をもつて降伏条項実施のために適当必要な措置とするやの認定権が降伏文書並びに連合国による日本占領管理機構の構造自体において、日本政府及び日本国民に対する関係においてのみならず連合国側の内部関係においても最高司令官に専属するものとせられていたこと並びに昭和二〇年九月三日日本国政府に宛て発せられた最高司令官指令第二号第四項により、「連合国最高司令官ノ権限ニ依リ発セラルル一切ノ布告、命令及訓令ノ正文ハ英語ニ依ルベシ。日本語ノ翻訳文モ発セラレ相違発生スル場合ニ於テハ英語ノ本文ニ拠ルモノトス。発セラレタル何レカノ訓令ノ意義ニ関シ疑義発生スルトキハ発令官憲ノ解釈ヲ以テ最終的ノモノトス。」と規定せられたことに徴して明らかであるから、日本の国家機関及び日本国民が自ら独自の立場において具体的場合における最高司令官の指示命令等の法的無効を認定主張し得べきことを前提とする控訴人等の右主張は採用し得ない。

更に控訴人等は最高司令官の日本政府及び日本国民に対する命令指令その他の要求が日本国憲法を超越する法的効力を有するものでない旨主張するけれども、日本国憲法の法的効力の基礎はもとより日本国の独立国家として有する権力や国家統治の権限すなわち国家として有する主権に依拠するものであるところ、日本国家の統治権力は降伏条項の実施に関する連合国最高司令官の権能の下におかれることは降伏文書に明記するところであるから、最高司令官が、その専権に属する認定権に基き降伏条項の実施上適当と認めて発した指令命令等の効力は、日本の主権をその支配下におく占領権力に直接の根拠をおくものというべく、日本国憲法に対する適合性の有無に随つてその法的効力の発生消滅を表すわけはない。控訴人等の右主張も亦理由がない。

以上説明したところにより本件解雇は最高司令官の要求に基き、その要求の向けられた被控訴人(被控訴人が客観的にも日本国内における重要産業に関する企業体に該当するものであることは、前記に認定したその営業種目、生産品の種類と経済上の効用、生産規模と生産量並びに製品の取引状況等に照してこれを肯認することができる)が要求内容たる状態を事実上に実現するために行われたものであることが明らかであるけれども、国内各企業体から共産党員及びその同調者を排除すべき旨の各企業経営者に対する最高司令官の要求と、右要求に係る義務履行として右各企業経営者が現に実施する従業員の解雇とが法律上如何なる関聯を有するものであるかを検討すると、解雇という限りは、特定の企業においてその経営者が特定の従業員をその事業場から有形的空間的に退去させたり立入を継続的に排除する等の事実行為をなすことを指すものではなくして、特定の企業主体と当該企業に就業している特定の労働者の間の雇傭契約を基礎とする労働関係を将来に向つて解消させることを目的とする法律行為であることが明らかであるところ、最高司令官の指令命令等はそれが一般国民を名宛人として発せられた場合においてもなお日本国民相互間の生活関係を直接に規律形成する私法法規となるものとは認められないのであつて、日本国内の企業における労働関係雇傭関係等日本国民相互間の法律関係に対してはもとより日本国内法のみが妥当するのであるから、右解雇も法律上飽まで民法雇傭契約に関する規定に基く告知権の行使としてのみ行われるものである。ところで国内法秩序においては特定の労働者が共産党員であるとかその同調者であるとかを理由として使用者がこれに対し雇傭の告知権を行使するならば、それは憲法第一四、一九及び二一条、民法第一条及び第九〇条、労働基準法第三条等の規定に反するものとして無効であつて、告知にも拘らず雇傭に付何等の消長を及ぼすことなく、従前の労働関係は存続するといわなければならない。最高司令官の要求が一定の就労従業員を当該企業から排除することを目的とするものである場合に、右要求実施のため使用者のなした当該労働者に対する告知が憲法及び前記国内法の規定に違反することを理由として当該雇傭に基く労働関係消滅の効果を発生せしめ得ないとすれば、右告知に関し憲法その他右国内法の諸規定は、降伏条項実施のため適当と認められる措置に関し最高司令官に専属する認定権限の実効性を奪い、最高司令官の認定したところを強制実現し得べき占領権力を無力化するものといわなければならない。降伏条項の実施に関し日本の国家権力が最高司令官の権限の下に従属せしめられるものである以上、憲法以下右国内法の諸規定は、最高司令官の権限や占領権力と矛盾牴触する限りにおいてはその妥当力を有しないものと解しなければならない。しかしまた告知の当事者相互間に存在するのはどこまでも日本国内法に基く法律関係に外ならないこと前記のとおりであるとすれば、憲法その他国内法諸規定が妥当力を有しないということは、当然その反射として、通常前記理由が一般に惹起すべき消極的効果を右告知に対しては及ぼさない結果となるものと解せられる。一面また国内法のみの妥当する法律関係であるが故に、その国内法自体の効力が前記場合の如くに否定排斥せられることのない範囲においては、具体的場合の解雇の効力の存否は国内法に対する適否に照らして判定せられるべきことになることはいうまでもない。

そうだとすれば本件解雇も控訴人等の共産党員であることを理由として、被控訴人がその企業組織から共産党員を排除することを直接の目的としてこれをなしたものであることによつては無効とはならないものというべきである。

そこで爾余の点に関し本件解雇が国内法上有効と認め得べきものであるか否かを考察する。

控訴人等と被控訴人間の雇傭につき期間の定めの存しなかつたことは冒頭に記載したとおりであるから、使用主たる被控訴人は元来何等特段の正当事由の存在をまつまでもなく何時でも任意右雇傭を解約告知し得べき自由を有するものというべく、しかも本件解雇に至る前記認定の経過によれば解雇権の濫用にあたらないことも明らかである。次に成立に争のない甲第一号証、原審(第一、二回)と当審における証人高木陽之助の各証言によれば、被控訴人と前記従業員組合の間には昭和二一年一一月二七日労働協約が締結せられその第五条には被控訴人が従業員の解雇をしようとする時は速かに組合に通知し説明諒解を求めるべき旨の定めがあるところ第一四条の定めによつて本件解雇当時には既に失効し、労使間はいわゆる無協約状態に在り、また就業規則の制定もなかつたことが認められる。協約中右説明諒解条項に付、協約消滅後も引続きなお労使双方を規律すべき効力を存続せしめる旨の合意が被控訴人と従業員組合の間に成立し、覚書に作成したという原審における山田耕太郎本人尋問中の供述は他にこれに副う証拠もなく弁論の全趣旨に照らして信用することを得ないし、労使双方による合意をまつまでもなく右条項の効力が協約自体の失効後もなお存続する(いわゆる余後効)ものとは解せられない。そうすると本件解雇が協約との関係において無効の瑕疵を帯びたものと解すべき余地はなく、就業規則との関係において右解雇が制限せられることもない。(尤も本件解雇に際して現実には被控訴人から事前に右組合に対し解雇すべき旨通知しその基準等に関し説明をして諒承を求めたことは前記認定のとおりであるから仮に前記協約条項に付いわゆる余後効を認める立場に立つとしても右条項違反の故に本件解雇の効力が左右されることはあり得ないところである。)次に前記乙第八号証と原審における証人高木陽之助の第一、二回証言、当審における同証人の証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件解雇の意思表示に際し被控訴人が控訴人両名に対して労働基準法第二〇条に従い各三〇日分の平均賃金相当額の金員を解雇予告手当として提供して支払受領を求めたところ控訴人等がその受領を拒絶したのでこれを供託したことが認められるから、本件解雇は労働基準法所定の手続に違反する瑕疵も存しないものと認められる。その他本件解雇につき無効事由は認められないから、右解雇の意思表示は有効であつて被控訴人と控訴人等との間の雇傭関係は昭和二五年一一月四日限り終了し控訴人等は翌五日以降は被控訴人の従業員としての地位を有しなくなつたものというべく、右解雇の無効を主張する控訴人等の本訴請求は理由がなく棄却せられるべきものである。右と同旨に帰する原判決は正当であつて本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条によりこれを棄却し控訴費用の負担に付同法第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎寅之助 山内敏彦 日野達蔵)

準備書面(昭三七年七月二五日付)

控訴人 山田耕太郎

控訴人 中島善顕

被控訴人 浅田化学工業株式会社

右当事者間の昭和三十六年(ネ)第七五九号解雇無効確認控訴事件につき、控訴人等は左記の如く弁論を準備します。

被控訴人は、本件解雇は連合国最高司令官のいわゆるマツカーサー書簡に基づいて行はれたものであると主張し、原判決は、これを認め有効であるとしている。

右声明、書簡がレツドパージの法的根拠となり得ないことについては、すでに述べた所であり大部分の判例、学説が承認するところであるが、この点について最高裁大法廷が中外製薬レツドパージ事件について昭和三十五年四月十八日に新たな決定を行つているので、これについての控訴人等の見解を明らかにする。

一、本件解雇のような所謂レツドパージが、連合国最高司令官の指示によつてなされたものであるとしても、かかる指示はポツダム宣言に違反するから無効であり、無効の指示にもとづく解雇もまた無効である。

(1) 連合国軍の日本占領に至る経過とその特質

一九四五年七月二十六日アメリカ、中国、イギリスはポツダム宣言を発表し、やがてソビエトもこれに参加した。

ポツダム宣言はその第一項において「日本国に対し今次の戦争を終結するの機会を与えることに意見一致せり」という。

そして第五項は日本が戦争を終結するためには第五項以下の条件を承認しなければならないという。すなわち「吾等の茲に指示する基本目的達成を確保するため」の占領(七項)カイロ宣言の履行(八項)軍隊の完全武装解除(九項)戦争犯罪人の処罰と並んで十項は「日本国政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」という。

日本は八月十日に受諾の回答を行い、これに対しアメリカ、中国、ソビエト、イギリスの四連合国の側から八月十一日に回答が行われた。その中には「連合国軍は、ポツダム宣言にかかげられたる諸目的達成が完遂せられるまで日本国内に留まるべし」という項が含まれる。

この回答を受けて、日本は八月十四日に正式にポツダム宣言受諾の意志を公表した。次いで休戦の交渉に入り九月二日に降伏文書が調印された。この中で日本はポツダム宣言の誠実な履行を約した。右の経過で日本はポツダム宣言を受諾しポツダム宣言に規定された占領を受諾した。ここに連合国と日本との間に合意が成立し、この合意の公式の表明が降伏文書である。

(2) 占領は合意に基づくものである。

この合意は戦勝国の要求と降伏国の受諾という意味における意思の一致であつて、対等当事者間の契約関係ではなかつた。

しかし日本占領は単に日本が連合国の事実上の武力支配の下に立つたというのではなくて、あくまで合意に基づき、この合意に占領国、被占領国の双方が拘束される関係にある。

無条件降伏と云うのは、降伏の条件が連合国側によつて一方的に決定され、日本はこれをそのまま受諾しなければならなかつたという意味をもつに過ぎないのであつて、降伏に条件が無く連合国の占領に何等の拘束もないという意味では決してなかつたのである。実際ポツダム宣言に降伏の条件は明示されており、その五項に「吾等の条件左の如し」といつて、ポツダム宣言自体が条件という語を用いている。連合国はその諸条件に反して行動することは許されない。占領目的はポツダム宣言に記載された範囲に限定され、連合国が占領目的を一方的に変更したりまたこれの範囲を逸脱した行動をとることは出来ない。

すなはち、連合国は右の諸条件のもとで休戦を認める態度を表明したものでありこれを認めて休戦を成立させることは国家としての無条件降伏ではなく、以上の条件に則つての降伏休戦の申入れであり、ポツダム宣言の受諾を正式に文書にし休戦を成立せしめた降伏文書は、国際法上の一方的行為ではなく政府が正式に締結した休戦条約に外ならない。

そして連合国とわが国も共に、国際的合意である降伏文書およびそれに引用されてその一部をなしているポツダム宣言の規定に拘束されるのである。占領軍といえども、その拘束から自由でないことは当然である。降伏文書には「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれるものとす」と規定されている。

然しこの規定は、日本がポツダム宣言並びに降伏文書の実施のために必要な限りにおいて連合国の権力に服従する義務を負うことを定めたもので、この義務の発生する根拠は日本がこれに合意したことにある。そして天皇と日本政府は連合国最高司令官の制限の下におかれるけれども、その最高司令官の権限はポツダム宣言と降伏文書の規定によつて制約される。前記の降伏文書からいきなり最高司令官が「全く自由に自ら適当と認める措置」をとる権限(昭和二十八年四月八日最高裁大法廷判決)があるというわけにはいかないのである。

(3) 連合国最高司令官はポツダム宣言に拘束される。

1 最高裁大法廷、昭和三十五年四月十八日の決定(中外製薬事件)は「連合国最高司令官の指示が、当時わが国の国家機関及び国民に対して法規としての効力を有するものであつたことは、別示当法廷の判例(二十七年四月二日共同通信事件)の趣旨とするところである」という。

法規としての効力をもつということが、単に事実上の占領権力に裏打ちされているため実際上否認する事が出来ないということを意味するものでなくて、少くとも何等かの意味で「法的有効性」を承認したものであり、しかもその法規範としての有効性が「憲法とかかわりない」ものであるならば、その法的有効性の根拠は更に明示されなくてはならないはずである。

即ち最高司令官の指示に、その法的有効性を賦与しこれを承認する上位規範がなくてはならないのである。それこそ最高司令官がその占領政策を実施するについて準拠しなければならない法規範である。

即ちポツダム宣言以外にはないわけである。そしてその指示がポツダム宣言に反するならば、そこに法的有効性を承認することは出来ない。それはただ武力によつて支えられた事実上の要求であるに過ぎず何人もこれに従う義務はなく、これに従わない者に対して義務違背を問うわけにはいかない。

日本裁判所も、またかかるものに対して法的効力を承認することは出来ない。ポツダム宣言と降伏文書は連合国に対する日本の服従を要求する。これがその一面である。しかしその服従は条件付きである。それはポツダム宣言の掲げる諸条件を実施するためという条件が付せられている。日本はポツダム宣言を履行しなければならないが、連合国もまたこれを履行しなければならない。これがその反面である。

最高裁判所の立場は、前者の一面のみを強調して後者の反面からは何等の法的意味をも導き出さない。

最高司令官の指示が、日本国民に服従を要求するのは前者の一面による。それが法的な服従の義務を課するのは後者の反面による。即ち日本がポツダム宣言を受諾し連合国がポツダム宣言を実施するものとして降伏文書に合意したからである。日本は自らひとたび行つた受諾と合意に拘束される。

これ以外に「法的効力」の根拠はない。連合国も又自ら提示して日本国の承認を得たポツダム宣言に拘束される。これ以外に法的効力の根拠はない。

2 降伏文書五項は、一切の官庁の職員に対し連合国最高司令官が降伏条項実施のため適当なりと認めて自ら発し又はその委任に基づき発せしめる一切の布告、命令及び指示を遵守し施行することを命じているが、これは最高司令官に対し、その発する指令命令が降伏条項実施のため適当であるか否かについての白紙的な認定権を与えたものではない。なぜならば、降伏文書並びにそれに引用されその一部をなすポツダム宣言は明白に日本占領の基本目的(軍国主義の除去、戦争遂行能力の破砕、領土の削減、武装解除、戦犯の処罰、民主主義の確立、特に言論、宗教、思想の自由と基本的人権の尊重、軍需産業禁止)を宣言しており、右基本目的に反する権力の行使をそれ自体が容認していると解する事は不可能だからである。

降伏文書五項の意味するところは、最高司令官に対し降伏条項(基本目的)実施の手段、方法についてある程度の自由裁量権を附与したところにある。即ち最高司令官の自由裁量権は、命令の内容にではなく、それを発する手段方法について認められているのである。したがつて最高司令官の立法行為がポツダム宣言降伏文書の基本目的に違反するに至つた場合は違法としてその効力を否定せらるべき事は理の当然であつて、裁判所は一般に国内法について憲法適合性の有無の判断を義務づけられると等しくこの場合に於いても国際法適合性の有無の判断を回避する事は出来ないのである。

(4) 連合国最高司令官は、極東委員会の諸決定に拘束される。

1 連合国による日本占領管理の機構は、一九四五年十二月十六日から開かれた四ケ国外相会議により決定されたモスクワ会議コミユニケによつて確立されたのであるが、それは次のようなものである。関係十一ケ国からなる極東委員会は、「日本が降伏条項に基づく自国の義務を完遂するにつき準拠すべき政策原則及び基準を作成する」機関であり、アメリカは右委員会の政策決定に従い指令を作成しこれを連合国最高司令官に送達し最高司令官は委員会の政策決定を遂行する責任を有する。最高司令官に対して発せられた指令又は最高司令官がとつた行動については、委員会に於いて検討する事が出来、その結果指令又は行動の変更せらるべき事を決定する時は委員会の右決定は政策決定とみなされる、最高司令官は日本の降伏条項占領及び管理並びにその補足的指令の完遂のために一切の命令を発する権限を有するが事態の緊急性の許す限り重要事項に関する命令の発出に先だち連合国代表五名で構成される対日理事会と協議し諮問すべきである。

即ち、ここに於いて確立された日本管理方式は、極東委員会を最高の立法機関とし対日理事会を協議機関として、連合国最高司令官に唯一の実施権限を与えるものであつて、連合国最高司令官に執行の最高権限が与えられるが右執行は極東委員会の政策決定に拘束されるのである。

2 極東委員会は、一九四七年七月十一日降伏後の日本に対する基本政策を決定し、公表している。右基本政策は、連合国の日本の占領管理に関する基本原則を定めたものであつて、連合国最高司令官は右基本政策に拘束される。

3 基本政策は、その冒頭に「この文書は、降伏後における日本に対する一般的政策を述べたものである。」と述べ前文第一部究極の目的第二部連合国の権力、第三部政治、第四部経済の構成をもつ。

前文に於いて明らかにされている所は、侵略的戦争を遂行した軍事的機構の徹底的破壊、軍国主義復活を不可能にする政治的経済的諸条件の確立、日本国民の平和的自覚の達成をなしうるまで右の目的を達成するために占領を継続するという事である。

右前文の趣旨は、第一部究極の目的においてより具体化される。すなわち、同部第一項においては、降伏後の日本に対する政策が、したがうべき究極の目的はイ、日本が再び世界の平和と安全の脅威とならぬように保証すること、ロ、国際的責任を実行し他の国家の権利を尊重し、かつ国際連合の目的を支持すべき民主的な平和的な政府を出来るだけ早く樹立することであるとし第二項は右目的を達成する手段として日本の非軍事化と軍国主義的傾向の除去、基本的人権尊重制度の確立等を規定している。

第二部連合国の権力に於いては、最高司令官は降伏条項を実施し、日本の占領管理の施行のために立てられた政策(まさに本基本政策に於いて示されるもの)を実行するために必要な一切の権限を有すること。

「日本に対する戦争に参加した国家の国民、日本人及び世界一般は占領の目的と政策、その実現の進行に関して常に充分に情報を与えられるものとする」こと等が規定される。

第三部政治に於いては、武装解除と非軍事化、戦争犯罪人規定の外に「個人の自由と民主主義的過程」に対する要望の奨励として

1 日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する障害が除去されるべきこと

2 集会と公開討論の権利を有する民主主義的政党と労働組合の組織が奨励されるべきこと

3 人種、国籍、信教または、政治的意見を理由に差別待遇を規定する法律、命令規則は廃止されるべきであること等を規定する。

第四部経済は経済上の非軍事化として「日本の軍事力の現在の経済的基礎は、破壊され、再興を許されないことを要する」とし、そのための計画の実施として軍事設備軍事生産の禁止、財界人の追放、独占の解体等を規定している。

連合国最高司令官の命令行動が、前記極東委員会の基本政策に違反するに至つた場合、違法としてその効力を否定せらるべきことは当然である。

(5) レツドパージのような共産主義者に対する不利益な差別取扱いは、ポツダム宣言に違反するものである。

ポツダム宣言十項は「言論、宗教及び思想の自由、並びに基本的人権の尊重は、確立せらるべし」と規定しているが、これは共産主義者の政治思想と政治的信条を含みまた同じ宣言にいう「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙」のなかに、共産主義者と共産主義思想に対する政治的、法律的弾圧の一切を含んでいたことは疑いをいれない。

それは昭和二十年十月四日に治安維持法、国防保安法、思想警察の廃止と政治犯の釈放が指令され、更に同六日には特高警察が廃止され、同十日には徳田球一、志賀義雄らの共産主義者を中心とする約三千名の政治犯が一斉にその自由を恢復したことの中に明らかにあらわれており、これら一連の措置はもとよりポツダム宣言の実施に外ならなかつたのである。

ポツダム宣言は、アメリカ、中国、ソビエト、イギリスなど資本主義国と社会主義国とが、その社会制度の相違を越えて、日本帝国主義とナチスドイツ、フアシストイタリーを共通の敵に据えた反フアツシヨ民主主義連合戦線の共同綱領の性格をもつており日本の降伏に先んじて署名された国際連合憲章の平和と人権尊重をうたつた格調高い前文の精神が脈打つていたのである。

共産主義者とその同調者を、その理由をもつて職場から追放し生活の途を奪い、屈辱におとし入れる如き最高司令官の指示が、ポツダム宣言に反することは一点の疑いもない。

又かかる指示が前述の極東委員会の基本政策に違反することも明白である。

したがつてかかるレツドパージの「指示」があつたとしても、それは上位規範たるポツダム宣言等の国際法規に違反し、無効であると云うべきである。前記最高裁の決定は明らかに誤りである。

二、原判決判示の連合国最高司令官マツカーサーの声明、書簡は、いづれも無効である。

(1) 五月三日付声明は共産主義又は、共産党に対する悪意に満ちた非難と中傷をくり返している単なる声明であり、形式的にも、実質的にも、最高司令官の指示でない事は明らかである。

(2) 六月六日付以降の一連の書簡は、日本共産党中央委員全員を公職から追放すること、同党機関紙アカハタの編集者を追放すること、同党機関紙アカハタの発行停止、アカハタとその後継紙、同類紙の無期限発行停止を、それぞれ指示している。しかしこれらの指示自体、形式的にはともかく、実質的には連合国最高司令官の指示ではなく、(アメリカ帝国主義の代理人マツカーサーの指示に過ぎない。)法規範としての拘束力を有するものではない。

ポツダム宣言は、占領政策実施の基本法であり、連合国最高司令官といえども、これに反する指示を発し、占領政策を実施することは出来ない。と同時に日本国政府及び国民は、このポツダム宣言を受諾し、これを誠実に履行する事を約しているのである。(降伏文書)いうまでもなく、それは、日本国政府及び国民が自ら、積極的にポツダム宣言の条項を誠実に履行するのみでなくポツダム宣言の条項を侵すものがあれば、その侵すものが、誰であるかを問はずその侵害を誠実に排除すべき義務と権利あることを約しているものである。かような侵害を排除することなしには、ポツダム宣言の条項を誠実に履行する義務を果し得ないからである。

連合国最高司令官の書簡による前記指示は朝鮮戦争の直前、直後にかけて我が国の民主運動と平和運動を弾圧し臨戦体制をととのえるためのアメリカ帝国主義の代弁者としてのマツカーサー元帥の指示であつた事は、もはや何人も否定し得ない歴史的事実である。

しかしてこの事実をおおいかくすため、右声明及び書簡は嘘偽と誇張された事実に基づく共産主義に対するヒステリツクなまでに強調されたひぼうの言葉の羅列以外のものではない。

しかも、これは、日本人戦犯の仮釈放、七月八日の軍隊創設の指令等と一連のものとして出されているのである、右一連の指令がポツダム宣言降伏文書、極東委員会の一九四七年七月一日付基本政策等の確立された国際法規と牴触するものである事は疑いない。ポツダム宣言六項より十一項までは日本占領の基本原則を規定している。

そして十二項には「前記諸目的が達成され、且つ日本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於いては、連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし」と規定している、これは本宣言中の諸目的に反する占領形態の許されない事を規定したものと解される。ポツダム宣言が、基本原則として掲げるものは、

<1>軍国主義勢力の一掃<2>完全武装解除<3>戦犯の処罰<4>言論、宗教、思想の自由、基本的人権尊重の確立<5>軍需産業の禁止である。

朝鮮戦争開始前後に於ける前記マツカーサーの指令のすべてはポツダム宣言の条項にことごとく違反している事は極めて明白である。

かような指示が、連合国最高司令官の指示として何等法的効力をもち得ない事は、云うまでもない。

(3) マツカーサーの前記指示は、アメリカ帝国主義の野望を遂行するために、その立場を悪用し、ポツダム宣言、極東委員会の決定をふみにじつて行われた、非合法的な犯罪行為に外ならない。『被占領国である日本の政府及び国民は、連合国最高司令官の指示である以上、これを無条件に守る義務があり、その指示がポツダム宣言の条項に違反しているか、否か、したがつてそれが、法的効力をもつか、否かを、自ら判定する権利はない』とか、

『最高司令官の指摘した事実判断についてさえ、それの真偽を判定する権利はなく、その真偽を問わず、無条件にこれを尊重しなければならない』等の主張するものがあるが、これは降伏文書に於いて日本国政府及び国民にポツダム宣言の条項を自ら誠実に履行する義務が課せられており、且つポツダム宣言の条項に対する侵害を排除する義務と権利がある事を忘れたものである。

また、占領治下にあつた日本国政府及び国民は、自ら、白を白と認定し、黒を黒と判定する自由さえ奪われ、最高司令官が、黒を白と事実判断をした場合、日本国政府及び国民は、もはやこれを黒と判定する自由さえないとするものである。我が国の民主化を占領政策の基本方針の一とするポツダム宣言を忘れた見解に外ならない。

原判決は、以上の理から目をそらし、連合国最高司令官の前記指示は、最高司令官の指示として法的拘束力を有するものとしている。

その良心に従い、独立してその職務を行う事を裁判官に要求している憲法第七六条第三項に違反するものと云うべきである。

三、連合国最高司令官が、「公共的報道機関」「その他の重要産業」「官庁公共企業体など」をも含めて、本件解雇の如き所謂、レツドパージを指令した事実は、存在しない。

(1) 指令の根拠とされている最高司令官の声明書簡については、すでに述べたところであるが、次のものがその全部である。

(イ) 昭和二五年五月三日声明

これは長文のものであるが、すでに述べた如く単なる反共宣伝に過ぎず何等具体的措置を、日本国政府、国民に指示したものではない。

即ち当時の共産主義運動をひぼうし、最終的には、これに対する日本国民の心構えについて警告したに過ぎないものであり、日本国民を具体的に拘束するような法規範としての性質は全く無い。

(ロ) 昭和二十五年六月六日付書簡

これは、日本共産党中央委員会を構成する中央委員二十四名全員を公職より追放するため必要な行政上の措置をとることを命じたものである。

(ハ) 昭和二十五年六月七日付書簡

これは、日本共産党機関紙アカハタの編集者十七名の公職追放について必要な措置をとることを指令したものである。

(ニ) 昭和二十五年六月二十六日付書簡

これは、アカハタの発行を三十日間停止させるために必要な措置をとる事を指令したものである。

(ホ) 昭和二十五年七月十八日付書簡

これは、アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対しその停刊措置を無期限に継続することを指令したものである。

(2) これらの声明書簡をレツドパージの「指令」と解する理論は全く根拠不明と云わねばならない。

これらの書簡の前記趣旨以外の内容は、その指示が発せられるに至つた理由、若しくは縁由に過ぎない。

立法の理由若しくは縁由がそれ自体法規範と認められないことは、云うまでもない。のみならず、これらの内容は日本国内に於ける共産主義の思想と行動を好ましくないとし、もしくはそれ故に共産主義者をして、公共の報道機関を利用させるべきでないとするに過ぎず、単に窮極的に報道機関のもつ責任を抽出するための前提的乃至、前置的説示とみるべきものである。

そこには、主要産業の経営から共産主義者を排除すべきであると云うような特定された趣旨は全く含まれて居らず、日本国民又は日本重要産業の経営者に対する最高司令官の法的要請と解釈し得る根拠は全く見当らない。

原判決のようにマツカーサーの前記書簡、声明をレツドパージの指示であると解釈し、これを適用するが如きは全くのこじ付けであつて拡張解釈の濫用でありその良心に従い独立して職権を行う事を使命とする裁判官のとるべき態度ではない。

かかる解釈は権力者に対する隷属を国民に強いる法解釈でしかない。昭和三十五年四月十八日の最高裁大法廷の決定は誤りであり、裁判官に課せられた使命からして速かに変更されなければならない。

(3) 昭和二十七年四月二日大法廷決定は「この書簡(昭和二十五年七月十八日)は、直接には日本政府に対し、“アカハタ”及びその後継紙並びにその同類紙の発行を無期限に停止する措置をとるよう指令したものの如くであるが、右文言の全趣旨を本件にあらわれた他の資料と共に考え合せてみると……報道機関から共産主義者又はその支持者を排除すべきことを要請した指示であることは明らかである。」というが全く奇想天外な拡張解釈というべきである。更に昭和三十五年四月十八日、大法廷決定になると「声明及び書簡の趣旨に徴して……明らかである」としている。

しかし、これは全く牽強附会の論である。

右両者とも、何等明らかでないものを「明らかである」といつている。

明らかでないことは、次の事実に徴しても証明出来る。

(イ) 昭和二十八年五月八日大阪地裁決定

昭和二十八年十二月二十五日大阪地裁判決(阪神電鉄事件)ここでは「マ元帥書簡のすべての趣旨も、これを、すべての日本国民又は、日本重要産業の経営者に対する日本共産党及びその同調者の企業外排除の法的要請と認むべき根拠となすに足りない」としている。

(ロ) 昭和三十一年二月二十四日金沢地裁判決

「これらの諸指令、声明が被告会社(北陸鉄道)のような民間企業から迄も、共産主義者及びその同調者を追放すべき措置をとることを、日本政府に対し指示していると解することは出来ない。」

(ハ) 昭和二十九年九月四日京都地裁判決(大映事件)

「前記一連の声明、書簡の発せられるに至つた根底には連合国による占領管理政策として民主主義原理によつて再発足した日本の社会秩序をそれに反する仕方をもつて混乱と破壊を惹起しようとする共産勢力を排除しようとする意嚮の存するが、連合国最高司令官の我国政府に対する指令又はその指令の施行命令乃至、指令施行のための国内法令なる明確な形式を備える場合は別としてこのような形式を具備しない限り、それ自体広漠たる内容のものでありこれが具体的実現のためには、更に明確なる対象、方法等の規制を俟つべき性質のものであつて、かゝる規制を俟つことなく右意嚮自体をもつて連合国により日本の国家機関並に国民に対し、遵守すべきことを義務づける法規範が設定されたものと解することは、困難である。」

この様に、下級審では最高裁と反対の解釈がなされ、しかもこれが支配的であつたのである。だからこれを「明らかである」というような事は正に背理である。

(4) かゝる指令は、存在しないとすることこそ自然である。

連合国最高司令官の日本管理については周知の如く、極東委員会、対日理事会等連合国機関の監督及び勧告が行われる建前になつていた。

従つてその指令は他の法令と同様にいやそれ以上に明確でなければならない事は当然である。

最高司令官の発する指令形式は覚書、声明、書簡等必ずしも統一されていないが、いずれにしても、指令の前提をなす政策の表明又は説示と指令自体とは截然と区別されるべきものであつて、指令は具体的に対象を明らかにし指令であることを明確にして発せられている。

この事は前述の諸書簡自体の形式においても明らかな所である。

そして指令が、具体的な事項につき個別的に発せられねばならない事は、モスクワ外相会議コミユニケにおいて要請されている所でもある。

すなわち、同コミユニケに定める極東委員会の任務には、最高司令官がとつた行動について検討することが掲げられ、又最高司令官には重要事項に関する命令の発出に先だつて対日理事会と協議する義務が定められているが、この事は、最高司令官の行動(指令は当然含まれる)が、対外的に明確である事を前提とするものである。

最高裁決定の解釈によつて、はじめてその内容が判明するが如き性質のものであるべきではない。

かゝる意味に於いても、かゝる指令が存在したと解釈すべき余地は全く存在しない。特にこの点については連合国総司令部のエーミス労働課長は、一九五〇年十月十九日、十四労組代表と会見した際「レツドパージは労使双方が協力して行う労使双方の課題である。

司令部が指令したものでもないし日本政府が、命令したものでもない。」と声明しており、又右エーミスは同年九月二十七日の日経連総会の席上「赤追放については、総司令部がこれを指示してゐる様に考えているむきもあるが、そうではなく、経営者、組合が話し合つてやつているのである。」(昭和二十五年九月二十八日付朝日新聞)との談話を発表している。総司令部からマツカーサー書簡の解釈についてなされた権威ある解釈は、これにつきると云うべきである。

前記最高裁の「明らかである」との決定は、以上の事情を完全に無視するものであつて、明らかに誤りであり変更されなければならない。

四、最高裁判所に対する「解釈指示」があつたと云う事は、「顕著な事実」ではない。

(1) 昭和三十五年四月十八日の最高裁大法廷決定がマ書簡の解釈につき最高裁判所に対する解釈指示がなされたという事を明らかにしたのは特に注目される。

中外製薬事件に関する前記大法廷決定は、次の通り述べている。

「連合国最高司令官の指示が、所論の如くただ単に『公共的報道機関』についてのみなされたものではなく『その他の重要産業』をも含めてなされたものであることは当時同司令官から発せられた原審挙示の屡々の声明及び書簡の趣旨に徴し明らかであるばかりでなく、そのように解すべきである旨の指示が、当時、当裁判所に対しなされたことは当法廷に顕著な事実である。そしてこのような解釈指示は、当時においてわが国の国家機関及び国民に対し最終的権威をもつていたのである。(昭和二十年九月三日連合国最高司令官指令二号四項参照)」

(2) 仮りにかゝる解釈指示があつたとしても、その指示は、以下に述べる理由によつて無効である。

1 最高裁決定の引用する最高司令官指令二号四項が「何れかの訓令の意義に関し疑義発生するときは発令官憲の解釈を以て最終的のものとす」としているとしても本件マ書簡の如く指令の内容がその形式上明白なる場合に合理的に解釈しうる以上に指令の範囲を拡張して解釈することは、最高司令官自身によつてもなしえないと解すべきであり、仮りにそれが可能であるとしても、少くとも発令官憲(最高司令官)の解釈は、新たな指令と同様にそのものとして指令対象者に対し公表せられなければならない。もしそうでなければ、指令に対する違反が占領政策違反として処罰の対象となるのであるから罪刑法定主義の原則は全く蹂躪される結果になる。しかるに本件の場合最終的たるべき最高司令官の解釈は、何等指令対象者である国民の前に明らかにされていないのであるから、本指令解釈の上に最終的な最高司令官の解釈は存在しなかつたものと云わなければならない。

この事は、極東委員会の決定した基本政策第二部連合国の権力中の「日本に対する戦争に参加した国家の国民、日本人及び世界一般は、占領の目的と政策、その実現の進行に関してつねに十分に情報を与えられるものとする」との規定の趣旨からも明らかである。

2 かゝる解釈指示自体もポツダム宣言に違反し極東委員会の基本政策に違反し無効であることは、云うまでもない。

(3) 最高裁判所に「顕著な事実」であるとされる「解釈指示」が何時、どのような形式で具的体に、どのような内容でなされたものであるかは、前記決定自体からは明らかにされていない。前記引用した部分を一読しただけでは最高裁判所に対して、一体何人が指示したのかさえ明瞭でない。このような具体性のない事実を判断の基礎にすることができるのであろうか。

元来、「裁判所に顕著な事実」とは、裁判所が具体的事件を判断するについて証明を要しない事実であるが、単に裁判所を構成する個々の裁判官の個人的認識であつてはならず、当該具体的争訟において両当事者が攻撃防禦の方法の前提とするに足る事実でなければならない。当事者が知りようもない事実を判断の基礎とすることは裁判所によせる当事者の期待を一切否定し当事者主義の構造を完全に認めないことになるからである。このような「事実」はこれまで当該事件の当事者は勿論、何人にとつても知りようがない事実であつたのである。しかもこの「事実」たるや何時何人が、どの様な形で指示したかが少しも明らかにされないものであるとすれば、もはや「顕著な事実」と呼ぶことは許されない。

なる程最高裁判所が右の決定の中でそのようなことを述べているということは、以後裁判所に「顕著な事実」であるとはいえるであらうが、少くとも「解釈指示」があつたという事実自体は、最高裁大法廷以外のすべての裁判所にとつて「顕著な事実」であるとはいえないのである。

そればかりでなく本当に最高裁判所がいうような「解釈指示」があつたのであらうか。その事が以下に述べる通り極めて疑しいのである。

(4) いわゆる共同通信事件に関する昭和二十七年四月二日の大法廷決定は、次のように述べている。

「この書簡(昭和二十五年七月十八日付)は、直接には、日本政府に対し『アカハタ』及びその同類紙の発行を無期限に停止する措置をとるよう指令したものゝ如くであるが、右の文言の全趣旨を本件にあらわれた他の資料と共に考え合せてみると一般に相手方のような報道機関から、共産主義者又はその支持者を排除すべきことを要請した指示であることは、明らかである。また右の書簡は内閣総理大臣吉田茂に宛てられたものではあるが、前記日附の官報にも公表されており、それは同時に、日本のすべての国家機関並びに国民に対する指示でもあると認むべきである。」

この決定が、平和条約の発効前すなわち占領中になされたものであることは、特に注目されてよい。

「当時においてわが国家機関及び国民に対し最終的権威をもつていた」「このような解釈指示」が本当に最高裁判所に対してあつたならば、最高裁判所はなにも、「当時」、「右の文言の全趣旨を本件にあらわれた他の資料と共に、考え合わせてみる」必要は全然なかつたはずである。

最高裁判所は、最高裁判所に対する「解釈指示」を引用しさえすれば、それだけで「最終的権威」をもちえたのである。

このことは、このような「解釈指示」が実は存在しなかつたことを疑わしめるに十分ではなからうか。少くとも右共同通信事件の決定当時、最高裁判所にとつて「顕著な事実」でなかつたことだけは確かである。

(5) 共同通信事件の前記大法廷決定は、マ書簡が日本の「国家機関並びに国民に対する指示」でもあると認むべき理由の一つとして「官報にも公表された」ことを挙げている。マ書簡が「憲法にかかわりなく」日本の国家機関および国民に対し法的効力をもつための一つの要件として、最高裁判所が当時書簡が「公表」されていることあげていたことも明らかである。ところが最高裁判所のいう「解釈指示」は、「当時」(一体何時なのかはわからない)から、いかなる形によつても「公表」されていない。官報はもちろん裁判所時報等にも「公表」されたという事を知らない。

昭和二十八年五月八日大阪地裁決定(近畿日本鉄道事件)同年十二月二十五日大阪地裁決定(阪神電鉄事件)昭和二十九年九月四日京都地裁判決(大映事件)昭和三十一年二月二日金沢地裁判決(北陸鉄道事件)等いくつかの下級審が、最高裁判所の解釈とは、全く逆にマ書簡が報道機関については格別、すべての国民又は主要産業の経営者に対し法的要請をなしたものではないと考えてきた事実は、最高裁判所のいうような「解釈指示」が、いかなる形にせよ「公表」されなかつた事実を裏付けている。これらの事件は、いずれも、当該下級審に占領中係属したものであるから、占領中「最終的権威」をもつ「解釈指示」が存在しまたはその存在が知らされておれば、下級審はこの「解釈指示」とは全く相反する「解釈」をなしえなかつたに違いないからである。

最高裁判所に対する「解釈指示」が「当時」から「公表」されていなかつたばかりでなく「当時」から現在に至るまで、いかなる形にせよ下級裁判所に伝達されていないことは、右に述べたいくつかの下級審の裁判が最高裁判所の解釈と全く反対の解釈を行つて来た事実および中外製薬事件の大法廷決定の後になされた近畿日本鉄道事件の大阪高等裁判所の判決が、“当時、最高司令官から公共的報道機関のみならず、その他の重要産業に対しても、共産主義者又はその同調者を排除すべきことを直接に要請した指示、又は右書簡が重要産業をも含めて解せられるべきである旨の別途の「解釈指示」の如きものが、なされたことを認めるに足る事実は、何もなく顕著な事実でもない”との趣旨の判断を行つた事実三井美唄事件の札幌高等裁判所の判決が、右大法廷決定に従いながらも、最高裁のいうような「解釈指示」には一言もふれてゐない事実にてらして明らかである。

(6) 以上述べて来た所によれば最高裁判所のいうような「解釈指示」が、現にあつたという事実すらすでに極めて疑わしいといわねばならない。

しかし、それはともかくそのような「解釈指示」があつたという事実は、当裁判所にとつて少くとも「顕著な事実」ではありえない。

かゝる「解釈指示」が当時裁判所一般に対してなされなかつた事こそ顕著な事実である。むしろ前述した如く総司令部エーミス労働課長によつて、かゝる「解釈指示」とは全く反対の解釈が国民一般に対し公表されていた事こそ公知の事実である。当法廷にとつて顕著な事実は、そのような「解釈指示」があつたという事が、公表された事もないし、当裁判所に対し最高裁判所からいかなる形によつても伝達されていないという事ではなからうか。

(7) 最高裁判所は、共同通信事件の大法廷決定においてマ書簡を一般に報道機関に対してなされたものであると拡げ中外製薬事件の決定によつて「その他の重要産業」をも含めて行われたのであると更に拡張した。しかも「その他の重要産業」に拡張するに当つては、恐らくは十数年にわたつて秘匿されてきたことにならざるを得ない、まことに疑わしく全く顕著でない「顕著な事実」が援用された。

全く国民を愚弄する強弁と云わねばならない。

五、最高裁判所に対する「解釈指示」があつたとしても、それはすでに効力を失つている。いわゆる中外製薬事件に関する大法廷の決定は最高裁判所に対する解釈指示があつたことを「顕著な事実」であるとし、「そしてこのような解釈指示は当時においてわが国の国家機関及び国民に対し最終的権威をもつていたのである」と判示する。

民事上の法律行為の効力が行為当時の法令によつて判定さるべきかどうかの問題は、しばらくおくとしても最高裁判所もいうように、そのような「解釈指示」に最高裁判所が従うべき義務は、「当時において」はあり得たとしても、占領が終つた決定当時においては全くなかつたのである。最高裁判所が、平和条約の発効によつて右のような「解釈指示」が効力を失つた後にいたつてなおその「解釈指示」を有機的解釈として援用することは背理も甚だしい。「憲法及び法律にのみ拘束される」べき裁判官の態度ではない。最高裁判所に対するそのような「解釈指示」があつたとしても、最高裁判所は占領中においてのみそのような解釈をなさねばならなかつたのである。(そのような「解釈指示」は、ポツダム宣言に違反しており、その当初に、さかのぼつて無効としなければならないことは、云うまでもない)しかも中外製薬株式会社に対して当該解雇当時直接最高司令官の解雇指令がなかつたことは、明らかであるし最高裁判所に対しても、中外製薬事件について、マ書簡に包含されると解釈すべき旨を具体的に指示したことがあつたとも考えられない、(最高裁第一小法廷昭和三十二年六月五日判決、東京朝日新聞事件参照)。本件においても同様である。仮に最高裁判所に対する「解釈指示」が事実あつたとしても、その「指示」はもはや効力を有しないのであるからそのような「解釈指示」にもとづく「解釈」は本件において許されない。

六、昭和三十五年四月十八日最高裁大法廷の決定は、何等法規範としての効力のないものを有効であるとして適用し何等明らかでないものを明らかであると強弁し、何等顕著でないものを顕著な事実であると援用している。右大法廷は、憲法で定められた裁判官の任務を放棄し、その良心をアメリカ帝国主義と日本独占資本に売り渡し、自ら憲法を蹂躪して決定を行つている。最高裁判所といえども、憲法に反して新たな法規範を設定する権限はない。

右大法廷の決定は、それ自体憲法違反の決定であり、違法、不当なものである。

七、最高司令官の指示は憲法をこえるか、

(1) 最高裁判所大法廷が「わが国の法令は右指示に牴触する限りにおいてその適用を排除される」ものとすることは屡次の判例に徴して明白である。しかしこの見解はまちがつており判例はあらためられなければならない。最高裁判所は最高司令官の指示の実質と日本国民の基本的人権の関係について再検討しその従前の見解をあらためるべきである。

かりに本件解雇が最高司令官の指示によるものであるとしてもそれは、憲法違反であり(憲法一四条、一九条等)憲法に規定された「憲法以前」の基本的人権を侵害するものである。

(2) 憲法十一条は、基本的人権の普遍性、不可侵性、永久性固有性という根本的な性格を宣言しているものとして説かれる。それはまず、普遍性をもつ。すべての国民はひとしく基本権を享有する。それは一定の身分や人種や性別を前提として享有しうるものではなく、人間本来の権利として存在する。一部の人にのみ与えられる権利は基本権というに価しない。権力による不可侵は、基本権の本質であつて「法律の留保」はもとより、「占領の留保」も許されずまた「公共の福祉」を理由とする一般的な人権の制限も許されない。それはまた永久の権利である。将来にわたつて永久に剥奪されることがあつてはならない。それは国民としての権利というよりは人間として与えられているものであるという思想に基く。それは、天賦固有のものであつて、人間が作つたものではない。従つてもとより憲法によつて与えられたものではない。それは「改正」したり「留保」したりすることは出来ない。

(3) 一九四五年七月二十六日アメリカ、中国、イギリスは、ポツダム宣言を発表し後にソビエトも、これに参加した。日本は八月十四日これを受諾しついで九月二日に降伏文書に調印した。ポツダム宣言には、「日本国政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし、言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」(一〇項)とある。戦後日本の人権保障は、遡つてこのポツダム宣言に至る。然し基本的人権は、ポツダム宣言と共にはじめて生れたものではなく、世界史の上において既に二世紀に及ぶ歴史をもつ。そのもつとも公式的、古典的な表現であるというバージニア権利宣言は次のようにいう。

「すべての人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を組織するに当り、いかなる契約によつても、その子孫からこれを奪うことのできないものである」(一条)この権利思想が更にヨーロツパにわたつて定着したのがフランスの一七八九年の「人及び市民の権利の宣言」である。

「国民議会として組織されたフランス人民の代表者たちは、人権の不知、忘却、または蔑視が、公共の不幸と政府の腐敗の諸原因に外ならないことにかんがみて一の厳粛な宣言の中で人の譲渡不能かつ神聖な自然権を展示することを決意した」という前文をもつこの宣言は、その十一条において「思想及び意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一である。」とうたつていた。このアメリカとフランスの二つの革命で生れた人権宣言は、とくに、フランスの人権宣言を通じて世界の各国にひろまり、そして二世紀にわたる試練に耐えた。

(4) 今日の国際連合憲章と世界人権宣言とは、その国際的結晶ということが出来る。世界人権宣言は、その前文冒頭において「人類、社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることの出来ない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」

「国際連合の諸国民は、基本的人権、人身の尊厳及び価値並びに男女の同権に関するその信念を憲章において再び確認し」とのべる。

そして更に次の通り規定する。

二条一項

「何人も人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上若しくは他の意見国民的若しくは社会的出身、財産、門地又は他の地位というようないかなる種類の差別も受けることなしにこの宣言に掲げられているすべての権利と自由とを享有する権利を有する」

七条「すべての人は、法の前において平等であり、またいかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する、すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても又このような差別のいかなる教唆に対しても、平等な保護を受ける権利を有する」

十八条「何人も思想、良心及び宗教の自由を享有する権利を有す(以下略)」

十九条「何人も意見及び発表の自由を享有する権利を有する(以下略)」二十三条「何人も労働し職業を自由に選択し公正且つ有利な労働条件を得及び失業に対する保護を受ける権利を有する(以下略)」

(5) 特に「政治的意見による不利な差別」の禁止を基本的人権保障の一つとして国際法のなかに規定する例が増加している事は、今日の基本的人権保障に関する国際的水準を知る上に有益である。

世界人権宣言二条一項がとくに「政治上もしくは、その他の意見」による差別を禁じていることは、さきに引用した通りである。

その他の戦時における文民の保護に関する一九四九年八月十二日のジユネーブ条約

十三条「第二編の規定は、特に人種、国籍、宗教又は、政治的意見による不利な差別をしないで紛争当事国の住民全体に適用されるものとし又戦争によつて生ずる苦痛を軽減する事を目的とする」

二十七条三項「被保護者を権力内に有する紛争の当事国は健康状態、年令及び性別に関する規定を害する事なく特に人種宗教又は政治的意見に基く不利な差別をしないで、すべての被保護者に同一の考慮を払つてこれを待遇しなければならない」

捕虜の待遇に関する一九四九年八月十二日のジユネーブ条約十六条「階級及び性別に関するこの条約の規定に考慮を払いまた、健康状態、年令、又は職業上の能力を理由として与えられる有利な待遇を留保して、捕虜はすべて抑留国が、人種、国籍、宗教的信条若しくは政治的意見に基く差別又はこれらに類する基準によるその他の差別をしないで、均等に待遇しなければならない」その他戦地にある軍隊の傷者及び病者の改善に関する一九四九年八月十二日のジユネーブ条約十二条にも同旨の規定がある。

(6) 宮沢俊義教授は、日本国憲法にいう基本的人権について次のようにいう。(有斐閣、法律学全集、憲法一九七頁)「基本的人権は『侵す事の出来ない永久の権利』である。その意味は、こゝに言う基本的人権が、アメリカ、フランス両革命以来の人権宣言で宣言、保障された『人権』にほかならないというにある。それは又そうした基本的人権の宣言、保障を主眼とする日本国憲法第三章が伝統的な人権宣言の性格を有する事を意味する。したがつて日本国憲法にいう基本的人権は、さきに説明されたような前憲法的性格を有する固有の意味の人権を意味するという事になる。」憲法上の人権は、憲法が、創設したものではなく、それが前憲法的性格をもつ権利を確認、宣言、保障したものである。そしてその内容は、右にみた国際的水準の高さにおいて理解しなければならない。従つて一定の法令や処分が、憲法の人権規定に違反するから無効であるという場合には、それが無効である真の理由は、右のような意味における基本権の侵害に対する法的非難にある。

(7) そこで基本的人権は、立法、司法、行政の国家権力によつて侵されてならないことは勿論、国際条約によつても、更に又占領権力によつても、又侵されてはならない。たヾ占領権力による人権侵害については、それが、事実上占領軍という強権の支配下にあるために、これを人権の侵害、即ち憲法上の基本保障に反するという理由で、その侵害を排除する事が事実上出来ない場合があるというに過ぎないのである。事実上その排除が出来ないという事と、その侵害の憲法上の評価とは、全くその性質を異にする。鵜飼信成教授は、旧朝鮮人連盟の財産に関する民事訴訟の鑑定書において次のように述べている。

「占領軍の命令に基く処分の中、本来、憲法に違反しないものについては、それが占領軍の命令に基くというだけの理由で特別に考えなければならない問題は多くはない。問題は本来憲法に違反する性質のものである。このような処分は、潜在的には、無効の処分であつた。たヾそれが、占領目的達成のために必要であるという理由でのみ占領中は、その効力が認められ、特に日本の裁判所は、その効力を判定する事が出来なかつたのである。

従つてその当時は潜在無効の状態にありながら実際上行はれていたに過ぎないといわなければならない」そこで、憲法の基本権規定に関する限りは、占領軍の処分といえども「憲法にかゝわりなく」行われうる余地は全く存在しなかつた。そこに人間があり従つて基本的人権があるにかゝわらずその侵害が憲法の人権規定と「かゝわりなく」行われるはづがない。仮に立法手続、立法形式、立法権限などの点で、「憲法にかゝわりなく」占領権力の行使される余地があつたとしても、ひとたび基本的人権に直接に関係する限りは、占領中いかなる権力といえども「憲法にかゝわりなく」行使されうる途はなかつたのである。人権規定について占領法規超憲論の生ずる余地はない。

(8) 従つて最高裁判所が安易にも、「連合国最高司令官は降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかゝわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守せしめる事を得たのである」というが如きは、過ぎ去つた占領権力の亡霊につかれて基本的人権に関する人類の死斗の成果に弓をひくものであつてその誤りは、まことに度しがたきものである。

「全く自由に自ら適当と認める措置」をとりうるが如き権力が仮にそれが占領権力であつたとしても、今世紀に存在しうると考える事の誤りは明白である。いかなる意味においても法的な規制を受けない権力などは既に人類共通最大の専制権力としてこの地上から消えうせたはづではなかつたか。不可侵、不可譲の人権に対しては、占領権力といえども、黙つて席を譲るべき法的規制をうけていたのである。人権侵害の占領権力の行使に対しては法的な批判が、可能であつたのである。たヾ時にそれが実効を伴わなかつたに過ぎない。占領中の批判的言論の封殺は日本の裁判官から批判的「判断」をも中止させたのであらうか。(以上)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例